超国家主義『民族の意志』同盟
戦争気概なき者に
国家国民守護資格なし
侵略のプロ、白人による策略
古今東西の戦争を振り返ってみても、どのような卑劣な手段を講じようとも「勝てば官軍」であり、敗者側がいくら正当性を主張しようとも「負け犬の遠吠え」に過ぎない。これは戦争のテーゼである。
だからこそ、敗者は次の戦いでは必ず敵を討って、勝者になれるようにあらゆる策を講じるのは、至極当然なことなのである。
古代のヨーロッパの歴史では「今日の勝利者が明日の敗者になる」のは常であり、激しい勝敗の流転が繰り返されることが当たり前であった。このヨーロッパの戦乱史という修羅場をくぐってきた白人列強のしぶとさは、並々ならぬものがある。
一戦の敗北に拘泥するあまり、恒久的敗者に成り下がるのは、紀元前146年にローマによって滅ぼされた商業国家カルタゴの例を見るまでもなく、歴史から永久に姿を消すことにつながることを意味しているのである。
市民を虐殺し、捕虜を奴隷とし、その土地を破壊する残虐非道の「侵略のプロ」である白人帝国主義の世界支配の野望に立ちはだかったのが、最後の非白人独立国家日本だったのである。
日清、日露、第一次世界大戦の戦勝国として、当時の我が国は日の出の勢いにあり、すべての非白人種の羨望の的であった。軍事大国として世界にその名を轟かせた日本は、国際連盟常任理事国に名を連ね、世界列強の一角を担う押しも押されもせぬ存在であった。この強烈かつ偉大な民族国家日本を打ち破ることは、容易なことではないとみた英米は、あきれるような狡猾さと姑息さをもって、人種差別政策を臆面もなく施行してきた。
米国では、1913(大正二)年カルフォルニア排日土地法成立(日系一世の土地所有禁止)、1922(大正一一)年日本人帰化禁止の確認(連邦最高裁)、1924(大正一三)年排日移民法成立(日本からの移民禁止)など、日米開戦以前から在米日本人に対し、「戦争」にも等しい排日運動が行われていた。
白人列強国が取り決めた国際ルールに逸脱した、このような人種差別的な政策は、米国の対日戦争の根底を流れる思想であり、その究極的な発現こそ人類史上最悪の大量殺戮=広島・長崎への原爆投下である。
広島では原爆による死者は約一四万人、長崎の死者は約七万人、いずれも昭和二十年12月末まで集計であるが、実に約20万人以上の非戦闘員である市民が原爆によって命を奪われた。また、被爆の影響で死亡した人は、令和元年8月の統計で、広島約31万人、長崎約18万人、合計で約51万人以上にものぼる。
この原爆投下は、日本本土への上陸作戦を避け、早期に対日戦争の終結を図るためというのが、米国の公式見解だそうだが、事実関係を精査すれば、原子爆弾の威力を知るための人体実験であり、当時ヨーロッパへ進出していたソ連への示威行動であったことは明白である。
さらに米国は、ヤルタ会談で共産主義者スターリンに日本の領土である千島列島を一方的に割譲することを条件に、ソ連の対日参戦の約束を取り付けた。その結果、日本は中立条約を結んでいたソ連から突然、宣戦布告をされ、満州や南樺太などの居留民は、ソ連兵による虐殺、暴行、略奪などを受けた。
多勢に無勢の中、孤軍奮闘していた我が国は、このような白人帝国主義の卑怯卑劣極まりない策動により、米英支ソから袋叩きにされ、ついに力尽き昭和二十年8月15日、やむなく矛を収めるに至ったのである。
確かに我が国は、一敗地にまみれた。しかしながらこのような卑劣極まる白人帝国主義者どもに対し、決然立ち上がり世界を相手に孤軍奮闘して、猛然と戦い抜いたのが、「東亜の光輝・非白人種の英雄」であった祖国日本である事実は、どのように否定しようとも否定できない事実なのである。
我が国が行った悪逆非道な白人帝国主義にたいする大反撃戦こそ、祖国の自存自衛を賭した偉大な聖戦であり、白人たちから抑圧され続けた非白人同胞の解放戦争であったことは、誰が何と言おうとも間違いのない歴史的真実なのである。
買弁化した「保守」
白人帝国主義者にとって、非白人種の英雄としての日本は、自分たちの最大かつ最強の敵であり、最も恐ろしいと感じていた。そのため、二度とその雄姿を彼らの前に現わされては、困る存在だとしたのである。
それゆえに、軍事戦闘で勝利した後も、日本が再び独立国となったときに、自分たちの脅威にならないように、徹底した対日奴隷化政策を推進してきた。それに呼応するように、戦後、英米をはじめとする戦勝国の「アメの政策に引き寄せられ、ムチの政策に怖気づく」売国奴と亡国者が、自ら進んで対外勢力の傀儡となって働こうと、ぬけぬけと名乗りを上げてきたのである。
特に戦後日本の方向性を決めたとされる、吉田茂などはその好例である。戦前から英米教協主義者であった吉田は、自分と意見が対立する鳩山一郎らの公職追放をいいことに、首相の座に座ることにまんまと成功した。挙句の果ては、サンフランシスコ講和条約で名目的な日本の独立を得ることと引き換えに、米国の言いなりに日米安保条約を締結し、独立国としての自衛権と国家国民の安全保障を米軍に差し出したのである。
「対米追従、国防軽視、経済優先」の吉田ドクトリンによって、戦後日本の方向性は「独立自尊」から「他国依存」へと大きく舵を切られた。そのため戦後日本には、もはやかつての「世界に誇る非白人種の英雄」の姿は見る影も無くなってしまった。さらに吉田ドクトリンを踏襲し、いわゆる「五五年体制」の上に胡坐をかく自民党は、一方で「保守本流」を自認しながら、実態は「アメリカの手下、アメリカの下請け」となることで、お情けの国家安寧と維持を図ってきたのである。
真の愛国心に燃える民族主義政党であれば、買弁的野党などは即座に粉砕し、反日侮日をもって内政干渉をしてくる外国勢力には、断固とした態度で臨み、それ相応の措置を講ずるのは、至極当然である。しかしながら、戦後日本の「保守」が行ってきたことと言えば、英米の対日弱体化政策のひとつである民主主義を金科玉条のごとく守り続け、与えられた「平和」の幻想に惑わされ、核武装論議に恐れおののき、歴史教科書の記述に関する支那からの理不尽な内政干渉に平身低頭し、さらには拉致された同胞を北朝鮮の地に放置したまま奪還することもできないでいる。
大東亜戦争の復讐戦を熱望する民族主義者を「現状破壊の異分子」として、危険思想の持主として扱っていることを見れば、「保守」陣営の腰抜け度合いと愛国心の欠落、さらには英霊父祖の意志継承をする気が微塵もないことは明らかである。
「敗戦してよかった」
大東亜戦争敗戦の原因を再興し、敗戦の屈辱を晴らすべく準備に取り掛かることが、国を愛する国民として当然の行動である。しかし、そんなことは全く眼中にないばかりか、まるで「敗戦してよかった」と言わんばかりの亡国の民が、英米デモクラシーの旗を掲げながら、戦後日本社会で大手を振って歩いている。
政府をはじめ御用学者連中は、8月15日を「英霊を慰霊する日」と定めているが、これは「戦争否定」を基底とした形骸化された慰霊であり、対米・対外服従主義者が自らを正当化するための方策に他ならない。
このような対米・対外勢力の傀儡分子は、「広島、長崎の復讐を断行せよ」「東京大空襲の無辜なる市民殺戮の仇を討て」とする民族の心の叫びを「狂信的」「観念的」と冷笑しながら、封殺しようとしている。しかし、「8月15日」の真の意義は、一般抽象的戦争概念に基づいて慰霊することだけではなく、大東亜戦争の目的「自存自衛とアジアの開放」の精神を正しく継承し、志半ばで斃れた英霊父祖の仇を討つ決意と誓いを確認する日に他ならない。
過去に「原爆投下はしょうがない」などと言語道断な発言をした官僚もいたが、白人勢力による世界支配体制打倒という崇高なる精神をもって、再び立ち上がることを放棄するものこそ、「敗戦はしょうがない」「敗戦してよかった」と心の底で思っているのではないだろうか。
いつから大東亜戦争は始まったか
歴史認識を踏まえて論議するのであれば、大東亜戦争は日米の利権争いから、突発的に起こった戦争ではない。戦争は、衝動的に後先を考えないで行えるものではない。したがって日本はなぜアジアの地で欧米白人と戦ったのか、なぜ圧倒的な国力差がある大国と戦ったのかを考えなければならない。多くの評論家たちは、当時の軍事指導者が無能であったというところに答えを求めているが、これは己の無知と不勉強をさらけ出す破廉恥なものである。
米国は、日本がロシアとの戦争に勝利したことで、自分たちが目論む支那侵略の障害として日本を意識した。それゆえに、日本を仮想敵国とした「オレンジ計画」の立案に着手した。先述したように、日清、日露、第一次大戦の戦勝国として、日の出の勢いにあった東洋最強の軍事大国日本、特に日露戦争に勝利して非白人種から白人コンプレックスを払拭し、英雄視されている日本の存在こそ、白人アングロサクソンの最大の敵であった。
このような歴史的事実に基づいた見地に立てば、大東亜戦争は日露戦争の直後、一九〇六年に公式調査が始まったアメリカの「オレンジ計画」に端を発していると言っても過言ではない。さらに事実上の戦争行為である日本弱体化政策として、一九二一年ワシントン会議四カ国条約による日英同盟廃止決定、同22年ワシントン軍縮会議における艦艇保有比率の削減(英5:米5:日3)、同30年ロンドン軍縮会議における補助艦保有比率と潜水艦保有量の削減などが、アメリカを中心とする白人帝国主義者陣営の策動によって、矢継ぎ早に取り決められた。
また、国内では大正デモクラシーによる頽廃思想の浸透、「憲政の常道」を建前とした政党間スキャンダル合戦による内政の停滞、共産主義思想の蔓延、国際協調による金融破綻と経済恐慌など、国家基盤が大いに揺らいでいた。
白人帝国主義者による日本弱体化政策と、国家基盤の揺らぎによって、白人が最も恐れていた「武勇国家」日本は、戦争遂行能力を著しく低下させていた。その結果、英米は東亜侵略の準備段階として、自らの軍事力と軍需産業の生産力向上を推進し、その一方で白人の脅威である日本の軍事力削減と戦闘意欲を減退させることに成功したのである。
追い詰められた我が国が、白人英米の策動に気づいたのは、昭和七年の五・一
五事件以降であった。国民の強い支持を一身に背負って、軍人が先頭に立って、腐敗堕落した政党政治を打ち倒さんとせねばならなかった状況は、当時の朝日新聞や東京日日新聞などの文面からも十分読み取ることができる。
大東亜戦争のように、戦争というものでは軍事的側面は最終局面に過ぎず、ほとんどは非軍事的側面からの工作策動にある。その意味からすると大東亜戦争は、用意周到に戦争準備を着々と進めてきた英米の思惑通りに、昭和一六年12月8日を迎えたと言える。しかし、凄まじい日本軍の強さは、英米の予想をはるかに超えるもので、彼らの目論見は大誤算となった。英米は日本軍の軍事的能力、精神力と統率力の高さ、高度な頭脳を駆使した作戦展開などに驚愕した。その英米をしのぐ圧倒的優秀さは、彼らには絶対に認めることができないものであった。自分たちが認めることができないものは恐怖心へと変化し、その恐怖を打ち消すために、日本の民族的団結と民族精神を徹底的に破壊し、根絶しにしようとしたのである。
戦後我が国に行われてきた、理不尽な奴隷化政策や弱体化政策の背景には、このような英米白人たちの、日本人に対する畏怖と嫉妬がある。白人帝国主義たちが計画した、戦後の世界支配体制においては、偉大なる日本の存在を認めることができないのである。
我が国の「自存自衛」による世界観と白人帝国主義の世界観は、全く相いれないものなのである。日本が真の独立主権国家として自立し、世界に向けて人類の共存共栄を目指す世界新秩序を提唱することは、白人たちが思い描く支配体制や優越主義を打倒粉砕することとなるからである。
醜い白人帝国主義者の軍門に下り、永遠の敗戦国家として、半永久的に奴隷状態あることに満足する卑屈な精神は、日本の偉大な世界史的使命を放棄したことと同じであり、祖国日本に対する裏切りにほかならない。今のような恥辱にまみれた生き様をさらしていては、祖国を守るために命をささげた英霊父祖に顔向けができない。
大東亜戦争で掲げられた、「自存自衛」「アジアの開放」の理想は、いまだに達成されていない。白人帝国主義との戦いは、この崇高なる理念達成まで継続されているということを強く意識し、いかなる外国勢力であっても、その風下に立つことを潔しとはせずに、日本の使命を果たすべく、一路邁進しなければならないのである。