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わが超国家主義

国内維新を土台とした世界史的維新への意志

1・戦後タブーへの闘争
 わが同盟の名称にある「超国家主義」(ウルトラナショナリズム)に対して、発足当時から各方面から様々なご意見を承ったものだ。

 

果たして「超国家主義とは何か?」 丸山真男の〝迷著〟の題名である『超国家主義の論理と心理』にもあるがごとき、戦後アメリカナイズされた自由主義者または共産主義者からは、「最も過激で野蛮な侵略主義」であり「軍国主義」「ファシズム」を指す呪いの標語を指す。


ところが面白いことに、戦後一部の保守陣営からは「インターナショナル?」「共産主義?」などとのご意見もあったほど。その取り方は様々であった。

 

ただ言えることは、戦後常識において、この言葉の意味するものは、まさに「黒魔術の呪い」そのものであり、二度と陽の目を見ないよう完全に封印されるか、さもなくんば二度と立ち上がれないよう徹底糾弾し続ける極悪対象物に他ならないということである。大いに愉快ではないか!

 

まさに、この異常ともいえる反応!臆病!こそ、この意味するイデーの悪魔的魅力をあますことなく示している証左ではないか!

 

これを躍起になり封印非難してきた番人どもは、この「悪魔」が民族の心に火をつけ巨大運動として再び蘇った瞬間、微塵に粉砕されると強烈に認識しているがゆえにこそ、この「凶暴性」に震え上がっているのだ。

 

現今わが国の支配者面するアメリカの下僕と共産主義の奴隷にとって、最強最大にして最も畏怖する「悪魔」こそ、民族の裏切り者を断じて許さず戦後価値観を覆滅せんとする至純にして過激な民族主義者=超国家主義者であることは間違いないことである。

 

ゆえに、敢えてこの戦後最強タブーである「超国家主義」を公然と蘇らせ、戦後デモクラシー粉砕、白人帝国主義打倒の意志を高らかに打ち出したのである。

 

爾来、大東亜戦争を侵略戦争と歪曲しわが国の「歴史・伝統・文化」を悉く否定唾棄してきた対米植民地を「平和」とはき違えてきた祖国への激しい警鐘を乱打してきた。

 

この運動に対して、「戦後常識人」からは的外れで浅はかで稚拙な罵詈雑言や非難中傷が殺到した。これこそ快感!これこそ運動の勲章!

 

批判抵抗の声が高ければ高いほど、大きければ大きいほど、わが運動の強大性、偉大性を強烈に認識することになるのだ。

 

2・新たな世界史を創造する わが超国家主義

わが超国家主義は「極端な民族主義」「強力な攻撃主義」更には「狂信的な愛国心」であると当初から主張してきた。

 

この刺激的な言質を素直に額面通りとらえてくれる方々も多く熱狂的な支持者も多い。しかるに一歩踏み込んだ遠大な意味も含んでいることを主張せねばならない。

 

即ち、狂信的であるが故にこそ、他民族主義にも十分理解できる自信と寛容性を持つことできるのであり、攻撃できる能力と自覚があるが故に、強者としてのプライドを持って世界平和に貢献できる義務を断行できるのである。

 

ここで忘れてはならないことは、古今東西の侵略者は「平和」を連呼しながら蛮食し、侵略される側は、自力なき「平和」を祈りながら死んでいくのだ、ということである。

 

さて、当方の命名した「超国家主義」が様々に評価され指弾されようが一向に構わぬ。
「極端な民族主義」「攻撃的な民族主義」と位置づけ戦前価値観及び近代文明常識の最反対に位置し、これらをはるかに超克する意志に他ならない。

 

まさに、わが主張する超国家主義とは、わが国戦後価値観を微塵に粉砕するだけでなく、「近代・西洋・キリスト教」文明を超克する新文明闘争を貫徹すべく強烈かつ崇高な意志に他ならない。

 

3・狂信的ナショナリズムは  世界史的維新である
然るに狂信的愛国心とはすなわち無条件にわが国家民族を愛することに尽きる。そこに理屈も理論もありはしない。

 

例えば日本に生まれたことを理論や科学的方程式で説明できるわけではなく、人知の超越した超自然的原理の下の神秘的存在に他ならない。

 

そこには神秘超自然の前での拝跪しかあり得ない。これに是非を問くは無意味。一片の疑念も抱くは、己自身の存在否定に留まらず天に対する冒涜に他ならない。 狂信的とはまさに至純である。この自己・自民族への無条件の愛情こそ、とてつもなく強靭な自信を形成し結果、他人・他民族の立ち位置を理解できるがために愛情共有が初めて可能となるのである。

 

よくナショナリズムは排他的であるとした誤った思考が蔓延している。

 

最優先と排他的とはまったく次元の異なる思考である。

 

現在マスコミや左翼が意図的に流布する浅はかな「排他的ナショナリズム」には、人類そのものが上記の神秘性と超自然によって創られた下僕であることがまったく欠落している。まさに人類こそが地球上の支配者であるとした「近代・西洋・キリスト教」文明のヒューマニズム(白人至上主義)に毒された「下僕のわがまま」でしかないのである。

 

では、現在その対にあり左翼が喜んで多用する「インターナショナル」はどうか?

 

これも「地球上の支配者である人類」には単に差別がないとする近代価値観の下での使用方法の違いに過ぎぬ。これらでは到底、人類の直面する危機的状況を打開できはしない!

 

その意味で、まさにわが超国家主義とは、神秘性超自然を奉戴し、そして自然の一下僕たる未熟人類を自覚指導かつ統制する崇高なテーゼであることを強烈に認識せねばならない! 

 

しかるに超国家主義は単に一民族の利益追求のための狭義思想ではなく、世界的規模の大運動にほかならない。ここで重要なことは、盲民が自覚と責任をもって対処できるはずもなく、誰かがこれを指導しなくてはならない。

 

人類同士の騙し合いや侵略虐殺にかけては近代西洋人=白人帝国主義者の右に出るものはないが、しかるに彼等は己の狭義な利益満足のために他民族及び地球上のあらゆる自然をも無差別に破壊虐殺してきた。自制が効かぬ暴走白人は、結果全地球を何万年も立ち入り禁止にできる原子力・核や大量破壊兵器を生み出し、もはや引くに引けないジレンマに陥っている始末。挙句の果て、ジャングル伐採、アスファルトによる地球皮膚呼吸窒息、温暖化等々による自然破壊を一体誰が本気で止めるのか?

 

否、暴走を食い止める「ブレーキ」を踏み忘れたのではなく、ブレーキそのものを装着していなかったことを歴史から明確に認識せねばならない! ブレーキとは、まさに「人類は自然の下僕」思考。それを人類史上顕在化してきたのが、古代ゲルマンシャーマニズムとわが国の神道であることを認識せねばならない。

 

いま人類滅亡が秒読み段階において、改めて人類の生き残りのために「地球の下僕」を自覚させ断固引率指導することは急務である。

 

人類救済指導書である神道を奉戴し世界を導く大使命を担っているわが日本が、なに故人類自滅の犯人・暴走白人および追従する支那人の顔色をうかがう必要があるのか!

 

この白人を黙認し白人文明に耽溺していること自体、もはや人類に対する大罪であることを大日本為政者は明確に歴史から自覚すべきである。

 

悠久の「神の国」の意味する所以を強烈に認識し、人類の敵である白人帝国主義者に拝跪する民族・人類の裏切り者を覆滅、新文明闘争を推進する強力民族国家を建設すべく、国内維新断行を急がねばない!

 

さらにこの国内の「第四の維新」断行成就を土台とし、さらに世界史的維新への進撃を急がねばならない。

 

その強烈で不退転の意志こそ、超国家主義である。

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