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近代民主主義の正体

■平等主義
 では、平等主義とは何なのか。平等主義は、神の下では一人一人の人間は、す
べて平等であるとする考えである。
・造物主である神と被造物である人間との間には、絶対に埋まることのない格差
がある。
・しかし、神が創った人間たちの間には、能力の差や肉体的な差はあっても、人間であるという観点からすれば格差はない。
・年少者と年長者の間にも、足し算や引き算しか習っていない小学生とそれを教
える教師との間にも、為政者と国民の間にも、人間という観点からすると格差は
ないのである。
 会社の上司に対して部下が服従するのは、上司が会社の権力を握っているため
で、一人の人間としては同じ自由と尊厳を持っている。これが平等主義である。
 個人主義と平等主義は国家理念として、アメリカ独立宣言に明記されている。
 この不可侵の権利を持つ個人と全ての人間は平等であるという思想に基づき、
トマス・ホッブス、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソーなどの哲学者が、いわゆる「社会契約論」を唱えるようになり、西欧の国家と国民、政府の在り方が規定されていく。

 

■社会契約

 個人が土地や金銭などの財産を所有するようになると、それを他者から保護す
る必要が生じる。
・人々が完全に公明正大で、他人の身体、生命、財産を脅かすことがなければ、社会において法や政府は不要であり、何もせずとも相互の幸福が守られる。
・しかし、キリスト教社会においては、完全に正しい行いができるのは神だけで
あり、原罪を背負った存在である人間は、他人に対する愛情や奉仕を忘れて、悪徳を働いてしまう存在である。
・このような不道徳な行為は、人間である以上防ぎようがないので、権力を持っ
た国家によって個人を守る必要がある。
・だが権力を持った国家は、人間が社会生活を営む上で、止むを得ず作った必要
悪に過ぎず、神から直接与えられた人間の自由や生命、幸福追求の権利(個人の
人権)が侵害されてはならない。
・従って国家が持つ権力は、必要最低限のものでなければならない。国家には強
大な権力も、神聖な権威も、卓越した政治指導者も必要ないのである。
・国家が持つことができる必要最低限の権力は、被統治者(国民)の合意に基づ
いて与えられる。
・すなわち国民は、自分の権利を守るために必要な分だけ、自分たちが持ってい
る権利に制限を加えてもよいという契約を国家と結んでいるのである。
・万一、国家権力を運用する政府が、国民の人権に必要以上の制限を加えたなら
ば、国民はその政府を改造してもよいし、廃止してもよい。
 このように、人間の自由、生命、幸福追求の権利を守るためには、必要以上の
国家権力や権威は無用なのである。
 また突出した才能を持った政治指導力を発揮する人が現れても、その人を英雄
とたたえ崇拝することは、神の栄光を汚すものであり、平等観念に反するものと
なる。個人と国家の間には、ただ個人の権利を守るための政府があればいい。
 これが近代民主主義による政治形態なのである。

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