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   >天網恢恢

天網恢恢

儒学と韓非子、今も伝わる東洋思想のとりわけ古代中国発祥の二大思想家の欠陥を取り上げたい。

前漢の歴史家、司馬遷は史記でこう記している。
韓非子に曰く、儒者は文の弊害でいたずらに古に傾倒し、または論弁を弄び国の法律を乱し、意気を以て人の苦難を救う侠者は武力を以て国家の禁制を犯す。
この二者は皆、非とする。
ところが儒者の多くは世間の名誉を得る事もあり、侠者は世間よりも排斥させられることが多い。
儒者は法術を以て身分低くても、国家の宰相や高官の位となり、その君主を輔弼しその功績も名誉も歴史に著われて後世に伝わる場合もあり、こういう人に対しては特に述べるするまでも無い。
中略
しかし、今の遊侠即ち、交遊を好んで人の難に赴く者は、その行為は常軌を逸して必ずしも正義に合する者になくてとも、その言や必ず真実にして、その行為たる必ず実行する。
いったん受けたことは誠実に実行する。
その一身を捨てることを気にせず、他人の困難を救う事を優先し、生命を最初から無いものと覚悟していることである。
しかもその自分の力の大なるを驕らず、その人格高きを自負するのを恥じ、まだ他に凄いのがいると謙遜する。
かたや人には緊急事態もおこるものであり、まさかの時にやくにたつ侠者は世に有用のものである。游俠列伝より


当の法治の理念を貫く韓非子は五蠹においてはこう記した。
儒は文をもって法を乱し、侠は武をもって禁を犯し、しかるに人主兼ねてこれを礼す。これ乱るるゆえんなり。これ法を離るる者は罪せらる、しかるに諸先生は文学をもって取らる。
禁を犯す者は誅せらる。しかるに群侠は私剣をもって養わる。
故に法の非とするところは、君の取るところ、吏の誅するところは上の養うところなり。
故に仁義を行う者は、誉むるところにあらず、これを誉むれば、すなわち功を害す。
文学を習う者は、用うるところにあらず。これを用うれば、すなわち法を乱す。
五蠹より


法家たる韓非子は法治万能主義を説き、物事のすべてを厳格な法を以て法の厳格な適用を説く立場であるため、法に反する者は処罰せよという立場である。
しかし、彼自身の身と彼の理念を実現した秦はその後どうなったといえば、その欠陥はあきらかであろう。
徴発の令により期日に遅れれば行っても死、どうせ死ぬならと、逃亡し決起する道を選んだ人々が結果、秦を滅ぼす立場になったのである。
始皇帝統一より遡ること約100年前、秦を栄えさせる遠因となった商鞅も自身が失脚したとき自らが定めた法により、その命を失った。韓非子もまた、自身の運命を拓くことはできず、その才に自らの権勢を危ぶんだ李斯らにより投獄され命を落とした。

法家と対極に位置する儒家への批判にこのようなものがある。
前漢9代目の宣帝こと劉詢が、儒学に傾倒した太子劉奭に対して述べた話である。
「漢家おのずから制度あり。元々、覇王道を以ってこれを雑す。なんぞ純じて徳教に任じ、周政をもってせんや。かつ、俗儒は時宜に達せず。好んで古を是となし今を非となす。人をして名・実を眩ませ、守るべきところを知らず。なんぞ委任するに足らんや。我家を乱すものは必ず太子ならん」

漢書 宣帝紀より


太子は即位した後に儒家を重んじ、結果的にその中から現れた王莽が漢を簒奪し、新を建国したが、彼もまた「好んで古を是となし今を非となす」政策を行ったゆえに、赤眉の乱により1代15年で国と身を滅ぼしたのである。
韓非子・五蠹に記されたように。
「うさぎが走ってきて切り株にぶつかって死んだのを、農夫が偶然見ていた。
その農夫は、またうさぎが出てくるかと仕事をしないで毎日その切り株を見張ったものの、ついにうさぎは捕れなかった」
つまり、「いたずらに古い習慣を守って、時勢に応じた処置ができない」という故事。
儒家の最大の欠点はこの「守株」に尽きるのである。

2000年以上前から、これらは指摘されていたにも関わらず、どちらの思想は現代でも応用され続けている。
何故か?都合のいい部分は十分に実効性があるから。
わが国に於いても、かの福沢諭吉は度々、著作で儒学批判を行っているわけであるが、とりわけ
 父の生涯、45年間のその間、封建制度に束縛せられて何事もできず、空しく不平を呑んで世を去りたるこそ遺憾なれ。また初生児の行末をはかり、これを坊主にしても名を成さしめんとまで決心したる。その心中の苦しさ、その愛情の深き、私は毎度このことを思い出し、封建の門閥制度を憤るとともに、亡父の心事を察して独り泣くことがある。私のために門閥制度は親の敵でござる。
福翁自伝より

 

だが、彼の創設した義塾こそが新たな門閥と化した事を鑑みても、決して都合いいところだけでなく、欠陥も取り入れてしまうところが人類の宿痾なのであろうか?
変革の立志と既得権保守の思想とは立場によって変節するのだろうか?
いや、新たなる価値観を生み出す。これが新文明闘争に求められる一要素といえる。
だが、そのためには古今東西のそれらをある程度は知っておかねば、「タイヤの再発明」という徒労を繰り返す事になる。


令和3年 9/21

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