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近代民主主義の正体

■根無し草の近代民主主義
 さらに西欧キリスト教から生まれた近代近代民主民主主義の正体主義の正体虚妄の近代文明虚妄の近代文明民主主義と、上杉鷹山の「伝国の辞」を比較検討してみることで、民主主義がわれわれ日本人に、いかに馴染まないものであるかを明らかにしたい。
 上杉鷹山「伝国の辞」
・国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべきものにはこれなく候
・人民は国家に属したる人民にして我私すべきものにはこれなく候
・国家人民のため立てたる君にして君のために立てたる国家人民にはこれなく候
 念のため申し上げておくが、上杉鷹山は江戸中期の人であり、ここでいう「国家」は出羽国米沢藩(現在の山形県東南部)のことであり、「君」は藩主のことである。

しかし、この「国家」を近代民主主義における国家、「君」を政府に置き換えることは可能である。 
 さて、「伝国の辞」(以下「伝国」)冒頭では、国家は先祖より子孫へ伝える
国家であるとされている。
 国家は先祖がつくったものであり、領地はもちろんのこと、そこで育まれた文化、歴史、伝統を含めて、子孫に伝えなければならない。と言っている。

 一方、近代民主主義では、国家は先祖がつくったもの、文化、歴史、伝統を伝承するものという概念はない。
 国家はあくまで、現在の市民の権利を守るために存在しているのであり、先祖の遺産を相続する権利や義務はそこには含まれない。
「伝国」二条には、人民は国家に属すると明記されている。
 祖先の遺産である国家を継承していくのは、人民であるということだ。
 これに対し近代民主主義では
・人民の同意に基づく契約がなければ、国家は成立しないので
・国家は人民に属するものになる。
 主従の関係でいえば、人民が主であり、国家が従なのである。
「伝国」三条は、人民のための政治を謳っている。近代近代民主民主主義の正体主義の正体虚妄の近代文明虚妄の近代文明・「君」は国家人民のためにあり
・「君」のために国家人民があるのではないと。
 この点は、政府は人権を守るためにあるとする、近代民主主義思想と似通っている。
 しかし「伝国」二条のところで述べた通り、近代民主主義の政府は個人の人権を守るものであり、「国と人民に含まれる先祖の遺産(文化、歴史、伝統)までは、守るべきものとされていない」ということに注意すべきである。
 以上のように、近代民主主義では、国家は祖先が作ったものであり、そこで育まれた文化、歴史、伝統も含めて、子孫へ継承しなければならないものという意識が欠落し、人民あっての国家であって、国家あっての人民とは考えない。
 これをそっくりそのまま現在のわが国に当てはめてみると、ジグソーパズルのピースのようにぴたりと一致する。

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