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国会議員は「国民の下僕」意識持て

1・ペテン師が英雄扱いされる唯一の晴舞台

北鮮ミサイルの主権侵害、支那人による北海道等国土簒奪、不良外国人による犯罪多発、戦後下請け貿易中心経済システムの破綻はじめ、わが国の国防・政治・ 経済等内外に危機迫る現今わが国。

その72年間の「他人任せの自由・民主・平和」によって「丸腰正義者の不死惰眠」は一向に覚醒される形跡はなく、ポツダム議会屋の最大にして唯一の目的である「国会議員となる」ためだけの総選挙がまたぞろ実施される。

この記事がお手元に届く際には、「安倍自民党の圧勝」「与党過半数」「改憲勢力が勝利」あるいは「立憲民主党が躍進」 等々の記事がマスコミに一時賑わすことでしょう。

しかししばらくすれば元の「混濁の湖」に戻っていく。

今回の安倍首相の解散権行使は「負けることはない」打算と思惑によるもの。

なにしろ「安倍一強」などと反対勢力からも「敵の強さ」を臆面もなく「賞賛?」した挙句、「安倍の信任を問う」と称される論点無き内容に、沈没寸前の泥舟を捨てた野党は藁をも掴む思いで使い古した寄木で船を作り我先にと乗り込む。

行き場の無くなったあぶれ者同士で筏に乗り込む。

「何しろ「大義なき解散」などと抜かす野党のどうしようもない怠慢こそ、まさに「安倍一強」を作り上げた張本人にほかならない。

与党で3分の2以上の議席を有する時点で「今なぜ解散総選挙?」と驚き慌てふためく無能野党第一党を消滅させる狼狽振りこそ、その証左に他ならない。

まさに与党以上に「解散はない」と高を括り「選挙なき有閑」状態を戯言 やおしゃべりで無駄に時間を浪費してきた税金泥棒こそ、実は「安倍政権を支える」呢懇の茶飲み友達に他ならない。

衣を脱ぎ変えても中身は変わらず。

流れに竿差し己の信条貫く気概も覚悟もない小物。

己からは何も行動せず、周囲の動き見て後から静々付いていく。

大きな流れとなったらちゃっかり先頭に割り込んでいる輩。そもそも投票箱政治とは、「選挙前の過去の公約や約束事をすべてリセット」し選挙によって選ばれさえすれば「何食わぬ顔をして一から従来とは別の道をも走る権利を有する」非連続性の無責任を許すシステムであることを鑑みれば、現在の選挙を何千回何万回実施したところで、同じ希のペテン師がまたぞろ排出してくることには何ら変わりはないのである。

2・国会議決は与野党共犯

国会とは与野党居存在して成立するものであり、議決で取り決められたすべての事象に対しては、賛成議員は当然だが、反対議員にも同等責任があることを明記せねばならない。「少数だから」「一所懸命頑張った」ので許して欲しい?結果責任が問われる政治において、泣き言や言い訳を百万遍述べたところで、反対野党の無罪論は一切通らない!国会内でプラカード出して喧騒する、国会議事堂を囲んだデモに飛び入りし喝采を浴びることで、果たして己の目的が達せられると真に思っているのか?

これら破廉恥行為をしておきながら、結局は国会とは議決に従うとの「お行儀よさ」で国民に納得させられると思っているのだろうか?

これに輪を掛けて驚愕すべきは、その変わり身の速さだ!

昨年の所謂「戦争法案」さらには湾岸戦争時の「掃海艇派遣」 など様々な法案採決に際して、臆面もなく示される無責任性の根拠とは、畢竟、その諸政策や問題取り組みへの本気度の無さにある。

「負けてしまったものはしょうがない」その結果応援した仲間や支援者がどうなろうと知ったことではない。

「そんなことに拘らず、次勝てそうな課題を探して騒ごう」の小児的思考しか持ち合わせていない永田町与野党。

国民の生命財産は政争の具に翻弄され、国家危機は彼らの思考や能力の範疇からはるかに除外された彼方の出来事に陥っている始末。

まさに、野党に今問われているのが、「本気の闘いをしたのか?」という疑念と、「負けた後の身の振り方、潔さ」ではないだろうか。

博打でも株式でも、丁半、売買あってはじめて成立するのであり、国会には本気の反対者が居て堂々闘うのは至極当然、 その結果負ければ「大損」=結果責任を取らねばならないことは勝負の鉄則ではないか!

それが出来ないのであれば結局は、野党は与党の補完材としての価値しかなく、これを「馴れ合い」と談じざるを得ない。

わが国の近代政党政治とは、成立以降、「憲政の常道」の言葉通り交代可能な二大政党制を理想像としたものである。

換言すれば「同じ穴の狢」であり、あるのは党利党略・私利私欲の権力争奪戦以外の 何物でもないのである。

3・戦後「保守・革新」共に外国傀儡である。

戦後わが国が「戦前」と決別し、その踏み絵としてきたのが「戦後デモクラシー」という摩訶不思議な輸入外来語である。

- 与野党が馴れ合い、同根である基本的事由は、永田町の門をくぐることができる通行手形はまさにこの戦後デモクラシー信奉者であることにある。

戦後わが国では、「戦前=軍国主義=侵略=悪、戦後=自由・民主主義=平和=善」という物の見事な幻想的図式が出来上がっている。しかるに戦前を美化賞賛しようものなら現今社会における犯罪者扱いを受け、公職追放、キチガイ扱いすらされる始末。

戦後価値観を覆滅するとは、既成常識の破壊であり、既得特権の駆逐追放が不可欠となる。

然るに、真の政治改革を目指す者は、わが国の国体に立脚した本来の歴史伝統文化を継承した価値観を遂行するものでならねばならぬ筈であり、戦前以前を全面否定してきた戦後の占領政策を断固複滅せねばならぬことは自明であろう。

とりもなおさず、「アジア解放」「自存自衛」の錦旗の下で決起した大東亜戦争の意義を歪曲したばかりか、国際法上断じて許されるはずもない極東軍事裁判という偽裁判を美化正当化する戦後価値観の粉砕なしに、一体どうしてわが国の回復ができようか。

「国体は破壊され、国史は否定され、国益は放棄された」戦後三大亡国路線をひた走らせてきたのが、アメリカの走狗自民党とシナ朝鮮の第五列社会共産党に他ならない。まさに戦後これら二極が体良く「保守・革新」を名乗り互いに相手を認め合うことによって、純真な国民を両派に無理やり組み入れることに成功してきた。

これにより「保守」「革新」の意味が全く歪曲化され、「両派にあらずんば国民にあらず」とみなされることとなった。

保守とは所謂アメリカナイズされた自由・民主主義を信奉するものであり、革新とは冷戦まではソ連シナ北鮮共産主義への露骨な信奉、冷戦後は「反戦」を前面に打ち出した反日スパイに他ならない。ともに戦前日本を軍国主義として断罪謝罪し、日本の国体に基づく伝統文化歴史を否定歪曲してきたことに何ら違いがないのである。

「日米安保条約肯定、国連中心外交、専守防衛、米国資本主義経済」にどっぷり基軸を置いている現今日本のどこに「自主独立」「主権国家」としての姿が見られるのであろうか。

わが国の国体を取り戻し、国益に基づ く政治経済国防政策を断行し、戦後自虐歴史観を不払拭し栄光の国史を花咲かせる」政治を再建せねばならない。

4・政治の真髄は密室でなく街頭闘争にある

最後に、総選挙後に選ばれたポツダム議会屋に対して一言。

「一般人並みに育児休暇が欲しい」はじめいっぱしの「人権」が欲しいだと? それと引き換えに一人当たり七千万円もの税金が投入されている現実を直視し、歳入二千万円を五百万円に縮小、文書交通費千二百万円をゼロ、交通費は実費かつグリーン車禁止、国会議員宿舎廃止、 ハイヤー廃止など堂々と国民の前に宣言すべき。

そもそも現在わが国の財政を破綻させた張本人が国会議員であれば、自分及び家族の持つ財産を、国民平均生活範囲を超える全額国庫に納めてから、潔く立候補すべきであるべき。

なにやら国会議員(地方議員程度でもそうだが)には選ばれたことに対する思い上がった「特権」意識があるようだ。

ゆえにスキャンダラスな事象でも「権力に守られているから特別に助けてくれる」 甘え意識が余りにも多い。

確かに「大した実績出していない」小物過ぎて 「暗殺 「テロ」の標的にさえならない。

ほとんどが「路上でキス」「不倫三昧」「公用車使い放題」「秘書すら管理出来ぬ」仕事に不相応の権力・資金・優遇・時間を もてあました無能凡人。

国会議員とは「特権」ではなく税金で食わせてもらう「国民の下僕」である。

この自覚を強烈に持つことができる限られた理想者によってのみ、初めて祖国再建の大事業に挺身できるのである。

国難の危機迫る政治とは、密室間接議会の詭弁や寝技による数合わせによって ではなく、街頭直接闘争によって敵を粉砕消滅することであることを歴史から明確に学ばねばならない。

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