超国家主義『民族の意志』同盟
戦後デモクラシーとは
まず、デモクラシーという名の近代西洋イデオロギーは、「民主主義」と翻訳され、わが国には「民主主義」がまるで存在しなかったかのようなことが現在蔓延している。
あたかも奈良、平安、江戸時代は今でいう「民主主義」は存在しなく、まるで野蛮社会であったかのごとく思われている。
当然に西洋個人主義的民主主義は存在しなかったが、それ以上にすばらしい日本独自の民主的社会が存在していたことは当たり前だ。村落共同体しかりだ。
私は、わが国が近代において初めて西洋文明と妥協したのが、他ならぬ大正デモクラシーであると断じる。
日英同盟から第一次世界大戦の連合国として英米アングロサクソンと手を組んだ日本は、当時世界の勝利者の分け前を享受することとなった。
ところが、アジア支配をもくろむ狡猾なる英米アングロサクソンは、当然に有色人種日本を陥れようとするのだ。
明治維新以降、西洋近代兵器を具備するもあくまでも日本魂を忘れず、あくまでも欧米白人帝国主義に負けてたまるかとの気概で邁進してきた明治時代と違い、戦勝国の一員として英米と仲間であると錯覚した大正年間に一体何が起こったか。
日本粉砕を目指す英米白人は、「自由」「民主」「人権」「平和」といった人間の心をくすぐるような美辞麗句でわが国為政者をたわいなく丸め込み、さらには英米崇拝思想を積極的に日本人に丸呑みさせようとしてきたのだ!
「デモクラシー」というスローガンの下、「やれ政党政治だ!」「やれ資本主義だ!」「やれ普通選挙だ!」「婦人参政権だ!」「思想信条の自由だ」が叫ばれ、わが国伝統の思想は時代錯誤とされるにいたった。
まるでサイズの合わないブカブカの背広を自慢げに身につけて自己満足している田舎者の如くだ!
国民感情がこのように「平和思想」「対英米協調」となるに至り、富国強兵・殖産興業の真の意味「=日本の使命は白人帝国主義のアジア侵略の粉砕・アジアの解放」は国民の意識から簒奪されるにいたった。
故にどうなったか。現状の社会こそ最高であるとした現状維持が常識となったのだ。
現状に満足した結果、勇気は臆病に、ロマンは私利にその席を譲り、わが国は内外にわたって縮み症候群となった。
「軍縮」によってわが国の守護神は瓦解し、現状維持政治は政党間の利権争奪戦となり党利党略・私利私欲の醜いスキャンダルがうんざりするほど繰り返された。
挙句は、経済・社会政策はズタズタになり、国民の生活は困窮の極みとなった。
東北の娘の身売り、餓死者続出、金貸し銀行と政治家の癒着による金融破綻が惹起された。
第三インターナショナルの日本支部である共産党の結成を許したのもこの時である!
外交に目を転じれば、1921年のワシントン条約に乗せられアジア侵略を国是とするアメリカに侵略の橋頭堡を許した。
わが国に軍縮を押し付ける一方で、自らは対日侵略計画「オレンジ計画」を推進し、大海軍拡大に余裕を持って取り掛かったのだ!
このような英米列強に乗ぜられた結果、どのような結果となったのか?
わが国を弱体化させた英米は、その野望である対日侵略の罠を着々と準備し、在米日本資産凍結、排日移民法制定、さらにはABCD包囲網となってことは周知の事実であろう。
大正デモクラシーこそ、白人帝国主義の罠であり、わが国が戦前最も弱体化した時期であった事をまずもって認識せねばならないのだ!
そして、大東亜戦争でその目的を果たした英米は、戦後日本に最弱体制である大正デモクラシーを再度押し付けたのであった。今度はもっと狡猾に、そしてもっと強力にだ!
戦後デモクラシーと大正デモクラシーの連関性を再度歴史的に認識し、これの払拭を急がねばならない。
戦後の価値観とは思考回路の停止に他ならない。
即ち、戦後は、歴史・文化・伝統という時代の脈絡が絶たれた。
我が民族は過去と未来の栄光の絆を断絶させられ、戦争犯罪者・敗北者としての十字架を永久に背負わされることとなったのだ。
もはや民族の歴史に対する卑下であり懺悔であり、同じ民族として躍動的自尊心を共有することはなくなったのだ。
このような状態では、未来に対する遠大な夢やロマンを抱く事は断じてできず、現実を近視眼的に後追いし、目の前にある現象をそのまま無条件に受け入れるだけが唯一許される「感情」にすぎなくなるのだ。
マッカーサーが与えた「自由」「民主」「平和」をなんの加工もせず丸呑みしているのだ。
与えられた餌をついばむことを至上の自由行動と錯覚し、与えられた害毒をも盲目的に取り入れるだけの機械的価値観しかもはやなくなっているのだ!
まさしく、民族浄化以上の民族洗脳であり、日本民族たることを許さない民族死滅政策にほかならない。
「憲法」はいうにおよばず、日米安保、市場経済、自由経済、資本主義、社会主義から民法、議会制民主主義、政党政治。選挙制度、はたまた6・3・3制教育制度、東京23区制等々枚挙に暇のない、既存の当たり前とされている価値観=考え方の誕生過程や意味を何ら理解せず、丸暗記するものである。
当然に我が民族にとってすべてが消化されているわけではないが、理解しようとしない故に、消化不良でも曖昧模糊でも与えた側からすれば何でもよいのだ。
マルクス、レーニンの資本論・共産党宣言などは矛盾に満ち溢れた文章であり、まともな者なら絶対に理解できるものではないが、だからこそ、その矛盾に多くの者をひれ伏させ、アカを蔓延させてきた共産主義・社会主義と同様、デモクラシー価値観も我が民族を思考麻痺させ脳死状態にさせるものにほかならない。
いま、真の民族的自尊心と歴史を再認識することが絶対に不可欠である。そのためには、生半可な民族意識ではなく、失われた民族意識・感情・自尊心を取り戻すべく、強烈強力な民族主義を敷衍せねばならないのだ!
生半可な歴史認識を排するのだ!
過去の民族の歴史を全面的に肯定するのは、世界中で唯一、自民族しかないのだ。
去勢された現在の価値観にどっぷり漬かっている連中の言う、中途半端な国際主義・平和主義・人権主義こそ、わが国を一層死滅させる病原にほかならない!
強烈な民族主義は強烈な味方を作るものであり、強力な友人を構築するものである。中途半端な無国籍人はだれからも相手にだれる事はない事をはっきりと歴史から学ばなくてはならない!