超国家主義『民族の意志』同盟
偽りの平和から真の平和へ
1.反軍国を意味する平和の歪曲
「平和」「平和国家」この空虚な言葉の前に、戦後真正面から異論を唱える勇気を持つものは誰もいなかった。
大東亜戦争敗戦によって、我が国は占領軍によって徹底した洗脳が行われ、「戦前=軍国主義、戦後=平和国家」と一方的に色分けされてきた。戦勝国の手によって、我が国に賦与された「平和」とは、本来の意味とは程遠く、単に戦前の軍国日本に対するアンチテーゼとしての、極めて狭義かつ偏見に満ちた意味に限定されてきた。まさにこの「平和」は、戦後への無条件な賛美を強いるための虚飾として利用されてきたのだ。
しかるに、「平和」を前提とした戦後に異論を唱える者は、一切の言論機会さえ与えられず、まるで魔女狩りのように問答無用で誹謗中傷の的とされて、木っ端微塵に断罪抹殺されてきた。反平和、反戦後を一言でも発すれば、それは瞬時に非人道的で好戦的な極悪人の焼き印を押されるのだ。そのため、戦後一貫して我が国民は、「平和」崇拝の風潮の前に首をすくめ、社会から袋叩きされないように、逃避してきた。
「平和」という言葉をほしいままにした戦後価値観。この価値観に盲目的に従属し、現状維持をかけがいのないものとし、目先の平穏を貪り生きる者だけが常識人として評価されている戦後不条理。「戦後デモクラシーこそが最高、自由主義、民主主義に勝るものなし」と信じて疑わない現在の日本は、畢竟、「安定=善、変化=悪」とする価値観に毒されているのだ。
そのため、戦後日本が金科玉条としている戦後デモクラシーを少しでも変革すれば、とてつもない天罰が降されると誰もが信じて疑わない。戦後デモクラシーを変更しようとする行為は、神を冒涜する背信行為、人としての悪行と同じように考えられ、そのような兆しを少しでも見せれば、不心得者は「平和を破壊する好戦家」「危険思想」「軍国主義者」として、社会から袋叩きにされ、抹殺されてしまうのである。以上のように戦後日本の思考回路は、まさに戦後の出発点である昭和二〇年8月15日で停止したままなのである。これによって日本は、現在も将来も永久に敗戦国でありつづけなければならないのである。自国の防衛を他国に依存し、「平和」を維持することは、敗戦国家として占領政策を甘んじて受け入れ続けることを表明しているのに等しいのである。
「平和」という呪文を唱えながら、戦勝国はわが国の伝統、文化、歴史を次々と破壊してきた。それのみならず他国の隷属状態から脱却しようとする、民族独立への意志も意欲も国民から剥奪し、二度と噛みつかれないように牙を抜いたのである。「自由・民主・平和」の三大デマゴーグによって構築される戦後デモクラシーこそ、我が国を永遠に敗戦状態に置き続けようとする、白人帝国主義者の植民地政策に他ならない。それはまさに「平和」の名によって行われる、驚くべき民族洗脳政策であり、幻惑された日本国民は、「平和」という祭壇に恭しく額ずくのである。そして「父祖のしでかした侵略戦争」を末代までの恥として、進んで懺悔の儀式を繰り返しているのである。すなわち、我が国にとってこの「平和」の齋壇とは、日本民族の墓標を象徴しているのだ。今こそこのように歪められた「平和」の定義を改め、つくられた「平和」の陰に隠れて自ら栄耀栄華を貪り続ける、対外傀儡勢力や反日分子どもを一掃しなければならない。
②平和は最強の者によって作られる
そもそも、一定の安定秩序をもたらす非交戦状態を「平和」とするなら、この平和状態は常に、時の強者の手によって構築されてきた安定的な秩序を指すことは、人類の歴史が証明するところである。
現にその時代における最強国の名を冠するパックスローマ、パックスブリタニカ、パックスアメリカーナとは、「平和」の名を借りた支配そのものであり、周辺世界を圧倒し平伏させるだけの、国力と軍事力と威厳を持つ国だけに許されたものなのである。このような見地に立てば、弱者によって守護される秩序などはあり得ない。弱者は強者の肥やしとなることがあるとしても、強国やその他の国々に向かって平和を強制することは不可能なのである。
戦後世界は、米ソ超大国の分割支配を経て、1991年のソ連崩壊後、米国一国の支配秩序が続くこととなった。これにより現在、世界は米国国益追求のための道具と化しているのである。
「皆で世界平和を構築する」「平和によって平等に恩恵が受けられる」「平和な世界では中立国に危害を加えるはずがない」こんな空虚な「平和」の字句に浮かれて、無責任な論調が日本を闊歩している。自立することすらできず、他国からの領空侵犯や領海侵犯という頭の上の蠅さえ追えないものが叫ぶ「平和」に、一体だれが従うというのだ。
少なくとも敗戦を克服し、次に起こるかもしれない戦争には勝利するという意志と実力を兼ね備えた国家であれば、耳を貸す国も現れるだろう。新秩序建設の大号令を下す実力と覇気を持った国家であれば、喜んで協力する国も出てくるだろう。旧い「平和」が新しい「平和」に代わるためには、実力ある国家の明確な交代がなくてはならない。その交代の過程には、必ず旧秩序と新秩序との間で、生死をかけた戦い、すなわち戦争が必然的に起こるのである。この避けることができない戦争によって、主役の交代が明白となり、表舞台に立った新実力者の大号令一下、新秩序による「平和」が高らかに世界に施行されるのである。
これが歴史の示す冷酷な事実である。「平和」は常に勝者によって作られ、勝者によって維持されるのである。それは敗者の辛く悲しい犠牲の上に成立する、勝者だけが手にすることができるものなのである。
いつまでも敗者に甘んじ、勝者にすり寄り、自虐的奴隷状態に安住を求める戦後日本の姑息な姿こそ、光輝ある日本の歴史に泥を塗る裏切り行為に他ならない。自虐と卑下の汚辱に染まり、安穏と日々を過ごす醜態のどこに、かつて白人帝国主義と熾烈な死闘を繰り広げてきた、東亜の守護神としての日本の姿があるのだろうか。自尊心なき臆病国家は、もはや三流隷属民族のそしりを免れることはできない。支那や朝鮮から内政干渉を受け、彼らの指図に従い、小突き回されて右往左往する弱小国家日本が、どうして世界平和に貢献できるのだろうか。
七五年間堆積された敗戦意識。これに塗りつぶされた日本は、東亜安寧に貢献する意思や力どころか、自存自衛という独立主権国家として自立することすら放棄している状態にあることを強く認識すべきである。
戦後日本の復活を急げ
与えられた「平和」に耽溺し、念仏のように「平和」を唱えることで、すべての物事がうまく運ぶのであれば、歴史には何の出来事も記録されることはないだろう。人類史とは、誰が何と反論しようが、まぎれもなく戦争の歴史なのである。戦争準備(戦前)、交戦状態(戦中)、平和状態(戦後)、が際限なく繰り返されてきたことは、歴史に示されているとおりである。
クラウゼビッツの言う通り、戦争とは政治の延長である。それゆえに戦争の欠落した政治、国家戦略などは存在しないのである。歴史上の世界帝国、強大な武力をもった国家だけが、「平和」の金字塔を打ち立ててきたのである。そして現在においてもなお、かつての強国の末裔が祖先の活躍に自らを重ね合わせ、祖国の偉大さと民族の栄光の歴史に目を輝かせて熱く語る理由は、祖国と民族が歴史に名を残してきたためである。
我が国が今なお世界から畏怖と羨望の眼差しで見られているのは、崇高なる理想を掲げて、勇敢に強大な敵国と戦った歴史があるからである。日清戦争と日露戦争の大国相手の勝利、第一次大戦を経て、支那大陸における連戦連勝、白人列強を粉砕し多くの植民地を解放した大東亜戦争。明治以後の日本の歴史は、アジアに巣食う白人帝国主義国である英蘭仏を撃滅一掃した栄光に燦然と輝いているのである。
特に九月五日のポーツマス条約締結の日は、日露戦勝利の偉大な記念日として明記されるべきである。近代の白人帝国主義時代に、白人国家に打ち勝った我が国の姿は、白人コンプレックスにあえいでいた有色人種同胞にとてつもない大きな希望と勇気を与えることになったのである。トルコのケマルパジャ、支那の孫文などは、特に強い感銘を受け、積極的に日本に学ぶことで、祖国の独立に大きく貢献した。その一方で、日本を増長させれば、有色人種の独立意識が高揚し、自らの世界征服の土台が瓦解すると脅威を感じた白人列強は、この瞬間から日本を非白人国家の代表とみなし、撲滅のための徹底した策動を開始したのである。
日本が白人帝国主義打倒の使命を担っているという自覚は、この日露戦争の勝利から始まった。有色人種の英雄として日本は、その後40年間にわたって白人帝国主義と壮絶な闘争を続け、遂に追い詰められた日本は、大東亜戦争という乾坤一擲の反撃に出たが、遂に一敗地にまみれた。
大東亜戦争は、最終的に白人種の一斉反撃と謀略、米国の非人道的大量殺戮兵器である原子爆弾の使用、密約によるソ連の条約破りなどによって敗戦の屈辱を味わったが、その実力と勝利の足跡は、民族の記憶として刻み込まれており、民族の矜持とするところである。
東亜安寧に積極的に貢献するという使命は、すでに古代の我が国が背負っていたものである。神功皇后の三韓征伐と新羅再征、豊臣秀吉の半島出兵などは、朝鮮半島と支那大陸の安寧とわが国の自衛のための戦いであった。
日本は、いつまでも負けるべくして負けた大東亜戦争の敗戦ショックを引きずっていてはいられない。巨大な敵にも臆せず立ち向かい、自分たちが担う使命を貫徹する新文明闘争を開始しなければならないのである。敗戦はしたけれど、今は捲土重来を期すための臥薪嘗胆の非交戦期間であると同時に、再戦の準備をして臨戦態勢を整える期間でもあるのだ。
そうであるにもかかわらず、狡猾な白人支配者たちに媚び諂う傀儡分子たちによって、白人の間接支配が継続的に行われており、終ることなき戦後状態すなわち占領体制が築き上げられているのである。その結果、わが国では自存自衛の意識を消失し、自国の防衛すらまともにできない無様な姿を世界にさらけ出している。
いまだに日米安保、在日米軍に対して、何の違和感も感じない感性の麻痺は、日本中に広がり、かつての偉大な民族は、その存在意義や使命を見失い、海を漂うクラゲのように、あてどなく生き続ける民族となってしまっている。
今こそロシア帝国という白人帝国主義に敢然と立ち向かい、勝利をおさめた偉大な栄光の歴史を再確認すべきである。戦後の敗北主義を払拭して、日本が担うアジアの開放、自存自衛の世界的大使命貫徹のために、白人支配体制を補完する近代文明を打倒し、それに代わる共存共栄の新文明を打ち立てるという、後世に誇れる偉大な歴史を構築しなければならないのである。
日米安保粉砕、強力な国軍の創設、東亜安寧への貢献のために、我が国は大東亜戦争の復讐戦に向けて臨戦態勢を整えなければならない。復讐戦、臨戦態勢というのは、やられたらやり返すという幼稚な論理に基づくものではない。過去の歴史から学び、同じ過ちを繰り返さないための準備という意味である。
日本国憲法前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と存在を保持しようと決意した」と書かれている。日露戦争後、我が国はこの理念に基づいて行動した結果、白人帝国主義者たちの策動にまんまと嵌り、大東亜戦争へと追い詰められたのである。
米国は日露戦争後、日本を仮想敵国とした「オレンジ作戦」を立案し、ワシントン、ロンドンの両軍縮会議をもって日本の軍事力削減を図った。その後、米国の蒋介石の中華民国支援や日本に対する経済封鎖などから、我が国は米国との戦争へと踏み切らなければならなかったのである。日本が平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、軍縮会議などで妥協を繰り返している裏側で、白人帝国主義者たちは、日本を戦争に引きずり込む準備を着々と進めていたのである。この我が国の外交戦略と政策の失敗を正すことなく、白人帝国主義を打倒することはできない。臨戦態勢の構築とは、この誤りを繰り返さないための態勢構築であり、復讐戦とはその立案された態勢の実行である。過去の歴史から学ぶことなく、戦いに勝利することはできない。戦いに勝利することなく、偉大な歴史を築き上げることはできないのである。