超国家主義『民族の意志』同盟
わが超国家主義運動政党の指針
超国家主義運動の政党指針
傀儡の巣窟に変革なし
毎年、厳粛に行われている大東亜戦争終戦の日の記念行事は、一体われわれに何を訴えているのか。大東亜戦争の大使命を忘却の彼方に捨て去り、過去の歴史に対するいわれのない懺悔と、本質との乖離が長い年月をかけて、砂塵のように積み重ねられてきたようにしか思われない。
守旧派も革新勢力も、戦後デモクラシーという虚構の上に築かれた繁栄に胡坐をかき、惰眠を貪ってきた。戦後社会の理念は、日米安保条約を既成事実とし、米国の核の傘の下でつくられた偽りの「平和」を我が世の春として謳歌してきた。
永田町に巣食う政治屋たちは、米国の対日間接支配の道具として、米国の庇護を受けながら、自らの権力闘争に明け暮れ、僅かな利益を得るために醜い争奪戦を繰り広げている。戦後、数々の対米追従政権を輩出してきた自民党は、米国がつくった日本の現今体制と価値観を率先して推し進め、時には米国への依存度を高めるため、自民党内部から自民党の改革を訴えるといった茶番劇さえ演じてきた。かつて小泉純一郎が、「自民党をぶっ壊す」と叫びながら、戦後体制と価値観が染みついた民衆を巧みに操った、いわゆる郵政総選挙などはその好例である。
そもそも戦後の日本政治とは、米国による対日隷属化政策の中で行われている、ママゴトのようなものでしかない。ダグラス・マッカーサーを最高司令官とする占領軍は、その軍事力を背景にして、わが国の歴史を捻じ曲げ、自分たちが作った憲法を押し付け、司法権を剥奪し、教科書を書き換えることで子供たちに占領政策を刷り込み、労働者に労働運動を起こすように焚き付け、果ては学校給食を利用してパン食を普及させるといった食文化への不当な介入まで行ってきた。これら一連の占領政策は、米国が最も恐れる日本民族を去勢し、将来にわたって米国の支配下に置くための、狡猾な策動なのである。占領期間中、真の民族主義を掲げる良識ある国民は、これらの占領政策に反対したが、米国憲兵によってその多くが逮捕投獄され、反米的言論は悉く封殺されてしまった。
昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約によって、日本は名目上の独立国とされたが、実態は同時に発行された日米安保条約によって、米軍の軍事的支配下に置かれた傀儡国家に過ぎなかったのである。
白人帝国主義が得意とする、間接統治をより有効に実施するために、巧妙に工作された対日植民地政策は、かつての東西冷戦時代、左右両陣営の傀儡政党を創設ことにより、対日工作および対日支配体制がより強力に行われ、外国勢力の日本政治への介在を盤石なものとした。我が国の歴史上、最大の汚点であるいわゆる「55年体制」は、まさに蚕が桑の葉を端から食べていくように、外国勢力がじわじわとわが国の政治を浸食する有様を見事に現している。今なおわが国政界に深く根を張り巡らせ、外国勢力と姦通するわが国政界の元凶はここにあるのである。
1955年、ソ連・中共の共産主義陣営は、わが国に強力な左翼傀儡政党を作り上げるため、秘密工作により左右社会党を合体させて統一社会党を誕生させた。これに対し米国は、まるで「ポーランド分割」と同じように、秘密工作機関CIAを使って自由党と民主党の二つの保守政党を合体させ、自由民主党という米国傀儡政党を作り上げた。永田町内で起こった「ポーランド分割」は、時代とともにカメレオンのようにその外観様相を変化させ、アメーバーのようにその勢力の伸縮を繰り返しているが、外国勢力の傀儡政党であるという実態そのものは、全く変わりがないのである。否、永田町の赤絨毯を踏むことができるのは、わが国を対外植民地と認識し、対外圧力に屈服することで、外国勢力からお墨付きをもらった売国政治家だけなのである。それゆえに現在、わが国の公党は、すべからく外国勢力のヒモ付きなのである。
北朝鮮労働党の走狗である社民党、社会党左派や売国保守リベラルが漂流してできた国民民主党と立憲民主党、さらには池田大作氏の私党である公明党、挙句はソビエト崩壊後も第三コミンテルン日本支部としての活動を続ける日本共産党、その他泡沫政党のどれをとっても、外国勢力の第五列や利権追及集団しか存在しないのが、日本政治の嘆かわしい現実である。これで何が変革だ! 何が政治改革だ! 笑止千万極まりなしである。日本無力化政策の基本となるポツダム宣言を受容し、議員という地位にしがみつづける「ポツダム議会屋」たちが、何百回、何千回と選挙を行ってきても、何ひとつ変化するはずがない。
わが超国家主義運動は、現今日本の混沌混迷の原因はすべて、腰抜け敗北主義による対外圧力への屈服にあると看破する。従って祖国を再興して世界に冠たる大国となるためには、速やかに外国傀儡分子を駆逐一掃し、わが国の政治に対する外国勢力の介入を退け、強靭な民族主義政権を樹立しなければならないと確信する。この信念の実現には、志操堅固な青年たちの手によって、既成の「ポツダム政党」と一線を画す民族主義政党を早急に構築すべきとの認識に立ち、熱誠をもって日夜運動に邁進するものである。
超国家主義運動の政党とは
わが超国家主義運動が構築せんとする青年政党は、その軸足を永田町の密室に置くものでは断じてなく、「政治は街頭から」を信条のもとに大衆運動に立脚した、躍動的な闘争集団でなければならない。
「話し合い」で事を済ませようとする生ぬるい思考回路に終始すれば、絶対に問題の解決につながらないことは、過去の歴史が雄弁に物語っている。小手先と口先だけが上手な臆病者の集まりが、一体どのようにして責任ある難問を解決に導くというのか。政治の根源が、血なまぐさい権力闘争にあることは、人類史を通して見れば、一目瞭然である。わが政策を推進するためには、邪魔立てする者は容赦なく切り捨てるということは、至極当然なことである。それほどの決意を以て挑まなければ、かつて経験したことがない危急存亡のにある祖国日本の再興は成就しないのである。
我が超国家主義運動は、国家の危機の前兆を機敏に感じ取り、維新変革の要諦である「至純と行動」を忠実にかつ厳格に実践する、戦う組織集団であることを自覚し、拡大邁進していかなければならない。わが運動の世界観を実現するためには、ありとあらゆる手段を駆使するのは当然のことであり、そのためには日夜「牙を磨き」「爪を研ぐ」ことを怠ってはならないのである。
しかし現在の社会状況を鑑みれば、非合法活動さえ躊躇なく行うという覚悟を持ちながら、合法的な大衆運動として組織の拡大を図っていくことも、重要な運動方針となる。すなわち、選挙による政権奪取を目指した、選挙戦への参加である。その選挙戦は、「政治は街頭から」という我々の信条に基づき、街頭活動と表裏を一体とするものであることは、言うまでもない。
この非合法活動と合法活動の一体化を一言で表せば、「腕力と大衆煽動」となる。
我が超国家主義運動の三本柱
以上の見地から、我が超国家主義運動が行う権力闘争は、時局に応じた布石を打ちながら、次にあげる三つの柱を支柱として組織の拡充を図るものである。
中央執行委員会
中央執行委員会は、すべての指令を発する組織の中枢である。厳格な指導者原理に基づき、党員に鉄の団結をもたらし、力強さと躍動感を持った宣伝啓蒙活動を推進し、適材適所の党内人事と徹底した党員教育を行うものである。
政治指導部
選挙戦を含めた、具体的政治権力奪取計画を立案し、その政策を実行に移す司令部である。各分野にわたる専門家たちで政策を構築し、現実的な権力の受け皿を作り上げることを目指す。
青年街頭制圧部隊(突撃隊)
わが超国家主義運動において、絶対的不可欠な部隊である。大衆は冷静な理論ではなく、情熱で動くものである。テレビや新聞では、真の情熱は伝わらず、一過性のものとして終ってしまう。だが、身近に情熱をもって雄弁に語る青年を見ることができれば、見た者の胸の奥底にその情熱は強烈に焼き付けられ、決して消し去られることはない。さらにその熱き姿を幾度となく目にすれば、眠れる魂は呼び覚まされ、自らが立ち上がらなければならないという衝動に駆られることは間違いない。
我が超国家主義運動は、以上の三本柱によって支えられているが、特に重要なのは若き力、国家変革の情熱が存分に発揮される場所であるということである。全国各地に隊伍を組んだ突撃隊を配置し、躍動的な街頭活動を行うことで、腐臭漂う戦後民主主義社会を打ち倒す、熱狂的運動体であることを我々は証明しなければならない。
現在、東京と大阪を中心に、凛々しい青年若人が隊旗の下、辻々で街頭演説を行っている。その運動は各地に広がりを見せつつあり、熱き若者たちが「日本を真の独立国とする!」「自分たちが変えてやる!」という熱情を込めた力強い意志と行動力を以て、大軍団となって若き力を誇示している。
永田町を我が物顔で占拠する、ブクブクと太った脂肪の塊、「ポツダム政治屋」たちは。永田町からたたき出さなければならない。若人が真の実力を遺憾なく発揮できる祖国の現出こそ、われらが新文明闘争の出発点であり、半世紀以上も無為無策の惰眠を貪ってきた、強国日本が覚醒するときなのである。