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剣はペンを粉砕す

 ~朝日新聞阪神支局襲撃記念日に際して~


 昭和六十二年5月3日、赤報隊と称する一群が、朝日新聞阪神支局を襲撃し、記者一人を射殺、記者一人に重傷を負わせた事件が発生した。

世に言う赤報隊事件であり、戦後の「平和ボケ」時代の象徴である亡国マスコミの代表者に閃光の鉄槌を下した衝撃的事象である。

事件発生直後からマスコミは一斉に、「罪もない者への残虐非道の犯罪」「無差別テロ」への批判を喧(かまびす)しく繰り返してきた。
そうだろう。

戦後の亡国マスコミは「非暴力」「平和」「言論」という土俵を独占することに成功し、戦後急成長したマスコミサービスの圧倒的資本のもと、大マスコミ以外の意見論調の発信を事実上認めてこなかったのである!
しかるに、「言論の自由こそが民主主義の鑑」であるとする虚妄が社会全体にまかり通り、畢竟、「マスコミに道を空けろ」式の横暴が常識とされてきた。

 亡国マスコミの取材・プライベート侵害の自由はあるが、マスコミに対する批判の自由は現在、封殺されているのだ!マスコミに発信された報道は、よっぽどのことがない限り「真実」となり、マスコミのさじ加減ひとつで、事実がある時は針小棒大の虚映と映ったり、または存在しなかったことにもなってしまうのだ。
政治屋も経済人も、さらには一般人も、心ではマスコミを快く思わないでいても、常に横目でチラチラ意識しながら、マスコミの意向を損なわないように言動している始末。

国会討論では、間抜けなポツダム議会屋が、マスコミ資料こそが唯一絶対の証拠品として手に手に振りかざして踊らされている始末。

テレビに放映されるとすればノコノコ出て、醜い顔をドアップでさらけ出し、結論の出ない無能な持論を口先から出まかせているペテン師ども。


「ペンは剣よりも強い」と評したが、これは言論人の非力さゆえの正義を十分にアピールした言葉である。

しかし剣を持たぬ現在において、ペンを越える力をもった存在が無い以上、ペンこそが新たな「剣」として君臨しているではないか!
これらマスコミに対する無条件の善良性・正義のイメージは、戦後のデモクラシー価値観に全てを依拠しているが故の幻想であることを断じて忘れては成らない!
即ち、戦前の軍国主義=剣に対する言論の圧殺がことさら強調され過ぎ、わが国言論はいつの時代にも言論統制下におかれ、自由に物が書けない、言えなかったかのような嘘がまことしやかに喧伝されているのだ!
例えば、現在では大東亞戦争=侵略戦争の張本人に仕立てられている東條英機氏が、昭和十六年10月に内閣を組閣した際、対米協調を模索せんとしたにもかかわらず、これを弱腰として叱咤非難したのは、紛れも無き朝日新聞であったことを歴史は忘れていないのだ!
戦前は散々戦争を美化、煽動しては好戦記事を機関銃のように撃ち続けたマスコミ各紙は、時代が変われば一転してこれらの事実を完全否定、やったとしても当時軍部に逆らうことは不可能であったのでやむを得なかったとして、自らの「罪」を不問としてきたのだ。

その言葉通りの非力が故の行為であったならば、なおさらのこと、マスコミ自体の自主性も主観性も何もないではないか!

結局は、戦前は軍部に、戦後はマッカーサーに擦り寄り、結局は太鼓持ちの記事しか書けぬ詐欺師に他ならないではないか!

そして、現在国内においては向かうところ敵無しのマスコミの主人は、外国勢力である。
プラウダ日本支局と言われて久しい朝日新聞は、いまや「人民日報」日本支局と化している。一体どこの国のマスコミなのか。

その目的とするものは一体何か!


「事実を報道する」という言質に惑わされてはならない。

事実に対する解釈はそれを報道する角度によって180度異なることはマスコミ自身が十二分に熟知している手法であろう。

わが国を健全の国家、世界に冠たる偉大な国家とするロマンは、即座に戦後の悪臭漂うデモクラシーを微塵に粉砕消滅することを意味しているのだ。

したがって戦後の混乱と混沌を唯一の生活の場としてきた国内反日勢力=マスコミのねぐらを一掃排斥することをその第一歩としなければならないのだ!

マスコミの遠吠えは今に沈黙する日が近いのだ!


「ペンは剣よりも強い」のはあくまでも「剣がペンよりも明らかに強い」ことを大前提としての、ささやかな抵抗を表していることに他ならないのだ!

傍若無人なマスコミのでしゃばった横暴を、いま、分相応の地位に落とさねばならない。

エログロナンセンスとセックス・スクリーン・スポーツという3S政策による国民道徳の頽廃は国家百年の大計を根底から停滞させる梅毒に他ならない。

少年犯罪、外国人犯罪、暴力の狂暴化、強姦殺人の慣性化、不倫・家庭崩壊などのあらゆる犯罪の元凶はマスコミの無軌道な視聴率獲得合戦による、なりふり構わない害毒垂れ流し放送にある!

暴走族でさえもがテレビディレクターのやらせに乗じられる時代!
私利私欲の亡国マスコミの跋扈は、もはや国難であり、国家死滅の必須要件である。
無差別・一斉垂れ流しという梅毒の洪水こそ、剣無き時代の無差別テロではないか!

しかし、マスコミのその口さがない「言論の自由」を封殺するものは一体なにか!

それは「肉体言語」即ち、暴力以外の何物でもないのだ!
いくら否定しようとも、いつの時代にも、暴力こそが時代を変えてきたのだ!

能書き垂れるものが天下を奪ったことは断じてないのだ!
腐敗と混沌をもっと助長するが良いだろう!

青年をもっと狂暴化せよ! マスコミよ!

うぬらが行っている社会への無差別精神テロはますます暴力に従う機械人を排出するのだ!
われわれは、時代の混迷混沌を決して嘆いてはいないのだ!

偉大な変革と凄まじい暴力の嵐は、深い混沌の後に必ず颯爽と登場することは時代の摂理である。


先述した朝日新聞阪神支局事件の意義は、無差別テロだからこそ価値があるのだ。

今後、暴力はまさに無差別の時代に突入するであろう。

それもより緻密に、より計画的に、そしてより大胆に、すがすがしく姿をあらわすのである。

対外勢力の代弁者としてわが国を損なう亡国マスコミの命運はあとわずかであることを思い知れ!
朝日新聞阪神支局襲撃記念日に際して、無差別テロの犠牲者となった小尻記者にその宿命的人生がゆえの哀悼の意を表するが、しかし、近い将来、亡国マスコミ自体が第二の小尻となる日か近いことを、改めて歴史の観点から強烈に警鐘しておく。

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