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本質見極め、真の平和探求せよ!

戦争と平和
1・政治は健全な社会を構築すること
わが同盟は、その名前の通り「意志」を持った祖国構築(すなわち自主独立国家の再興)であり、それを構築する国民の意志=個々人の自主・自発・自律を構築せねばならないと考えるものです。
さらに、わが同盟員・会員においては、同盟の意志=指示命令の前に、党員会員個々の意志(自主・自発・自律)を構築できるよう個々人の成長を強く要求しております。
その中において、現今の我がままの代名詞である「個人主義」とはまったく正反対の「全体への奉仕」「全体の中のおのれの立ち位置」としての「意志のある個」を育成し適材適所による健全で勢いのある有機体を構築するものです。
わが運動のテーゼとは、「意志=自主性」すなわち己の「生き方=人生」が曖昧であればその方向性も推進力も中途半端に陥ります。
この見地から鑑みれば、政治とは「健全な生き方を模索すること!」に尽きるのです。
己の健全な人生を全うすべく、近隣周囲の健全、社会の健全、国家の健全、そして世界の健全をその延長線上に位置づけることこそ、真の世界観闘争の大前提とならねばなりません。
翻って、現在の社会を鑑みるとあまりにも心身ともに不健康な状態が蓄積され、いまこそ社会・祖国・世界を健康な状態に是正治療することが急務となっております。
 
2・戦争本質は「パンよこせ!」
特に戦後わが国が、その不健康な状態をなおざりにしていてきた最大かつ唯一の理由は、「戦争がなかった」ことにあります。
社会的重大問題が殺到し、政治経済社会文化さらには日常様々な不安不満要素が充満しているにも拘らず、それを封印しているものこそ「戦前=軍国戦争、戦後=自由民主平和」の幻想図式にほかなりません。
戦後美化を無理やり後付けしてしているのが

「憲法九条があったから戦争が起きなかった」

「自衛隊は軍隊ではない」

という左翼から、

「日米安保条約・国際連合によってわが国が平和を享受してきた」

という保守に至るまでに蔓延している戦後デモクラシー信奉に他なりません。
戦後デモクラシーシンドロームに犯された保守も革新も、もはや物事の本質を追究する意思も能力も無く、あくまでも戦後敗戦状態の維持を頑迷固陋に、皮相的政策論争に終始するだけの「コップの中の嵐」にはしゃいでいるに過ぎないのです。
「戦争」という戦後唯一最大の琴線に触れたことでバカ騒ぎをしたのが「安保法案」です。
「反対を連呼」「歌や踊り、銅鑼、太鼓」で戦争防止ができると思う者が、アマゾン密林の裸族の祈祷による病気治癒を笑うことが出来るでしょうか?
まったく戦争・平和の本質をわかっていない!

と言わざるを得ません。
では、戦争とは何か?

何故起こるのか?

そして古今東西、戦争・革命が何故に繰り返されるのか?
戦争の目的とは領土が欲しいことか?

ではなぜ領土を獲得したいのか?
人を殺してまで、やらなければならないその理由とは一体何か!

との原因を探求しこれを治癒しない限り、戦争の芽を縮小できないではないか!
結論から言おう。

「パンよこせ!コメよこせ!」こそ戦争の究極的原因であることを理解すべきです!
 

西暦1783年、アイスランドのラキ火山が大爆発し、その影響で太陽は噴煙で隠れフランスはじめ大凶作になったこと、これに対するルイ16世の経済的失政が西暦1789年フランス革命の遠因となったことは歴史が物語っています。
更には第一次世界大戦終結した西暦1929年、勝ちには勝ったが国土が戦場となり荒廃したフランスを中心とした欧州列強は敗戦国ドイツに対し天文学的賠償金を押し付けたばかりかドイツ最大の工業地帯ルールを簒奪したため、ドイツはハイパーインフレに陥り、明日のパンさえ購入できない塗炭の苦しみに陥りました。
ドーズ案、ヤング案というドイツへの多額の資金投資も結局は、これに群がり人為的に超インフレを作り出し巨額の暴利を手に入れた金満ハイエナ・ユダヤの懐を肥やしただけでありました。

「パンを奪った」ユダヤの対する憎悪の要因をここでも明確に理解されねばならないのです。

3・平和とは「強者の支配と弱者の服従」 
次に、「戦争」(悪)と対比されがちな「平和」(善)の本質であるが、それは誰の為の平和なのか?

「万民のため?」もはや奇麗事は言うまい!
即ち、「平和は強者の為の支配」「、強者同士の力の均衡」によって成り立つものであるが、簡明に言えば「強者による支配と弱者の服従」によって構築される維持状態に他ならない。
これを戦後日本の現状に当てはめてみるとアメリカの核と軍政下の植民地体制との厳然とした事実に突き当たらざるを得ない。
繰り返して言うが、能天気な平和を叫ぶ者のパラノイアども=エセ平和市民はどうやって「平和」に貢献してきたのであろうか?
憲法九条? 笑止千万! 強力な殺傷武器を手にした敵を前にして、どうやって自分自身や親兄弟を守るのか?
更には、戦後わが国の「平和」嗜好者は、自分さえ助かれば良いとする卑怯者の思考に他ならない。
己の国土が戦場にならなければ良いとの「一国平和主義」の考えと彼らが依拠する「国連」とどのような連関性があるのであろうか?
堂々と「一国平和主義」を論じるのであれば、日本だけで世界を相手に戦い勝利できる高度国防国家を構築することが大前提とならねばなるまい!
そもそも古来からのわが国の英雄的外交とは、東亜の安寧の為に、近隣からのSОSあれば彼らの為に身命を賭し渡海し大陸や半島、大洋で屍を散らしてきたのではないか!
いま、アメリカの核武装による「平和」に安住していながら反核の「平和を守れ」の精神破綻を気づいていないのか!
同胞が殺されていくのを平然と傍観できる状態を「平和」というのであろうか?
歴史を鑑みて、インカ帝国、アマゾンやアジア・アフリカの原住民が殺されてきた無力を、そしてアフリカ人が殺戮され奴隷として売買されてきた無力を、よもや彼らは「平和」として呼ぶのであろうか?
そして重要なことは、わが国の一国平和主義者の思考に、既に日本は「日米安保条約、在日駐留米軍、おもいやり予算など」によって、アメリカの戦争行為に堂々と加担している事実をどう総括しているのであろうか!
 
4・近代世界秩序の打倒!  
イスラム国は、確かに残酷なことで多くの批判が殺到している。

ただ、その存在を歴史的位置付として大観すれば、「白人帝国主義者への反撃」「近代白人国家概念にとらわれない価値観」は、いよいよ歴史の大変動を見て取ることが出来る。
既存の国境線を踏み越えること、国境線を変えることは、アジアの白人植民地駆逐し戦後有色人種の独立を惹起させた大東亜戦争、そして西暦イラク・サダム・フセインによるクウェート領土奪還が列挙される。 
そもそも「現在の国家の概念とは いったい誰が決めたのか!」という課題に気づかれねばならない。
近代国家とはなぜ「近代憲法、議会、民主主義」がなければならないのか?
現在当然のように示されている国境線とは、いったいいつから存在しているのか?

どうやって決められたのか?
後者は、まさしく白人のアジア・アフリカ侵略の白人列強間の植民地線に他ならないではないか!
白人の近代侵略系譜を鑑みれば

①「自由・平等・博愛」を高らかに謳ったフランス革命→

②「解放」を掲げた共産主義 →

③「文明による封建解放」を謳う自由民主主義のおぞましい同根侵略支柱が存在することに驚愕せねばならない。
 

事実、西暦1991年イラク戦争で、アメリカブッシュが公然と発した「文明の名において野蛮人を解放する」大義名分は、西暦1096年の第一回十字軍による一千年来白人帝国主義の侵略正当化の理論とまったく変わっていない。

 

5・対日奴隷体制は、実は、「近代支配と戦後支配」の二重構造にある。 
白人の有色人種支配体制「近代五百年体制」と有色人種の英雄である日本封じ込める体制「戦後七十年体制」という戦後と近代の二重支配構造に組み伏されていることを明確に自覚せなばならない!
日本を支配し続けることが、白人支配の近代、戦後の両体制を維持できるのであります!
故に、わが国こそが世界で唯一、この近代・戦後両体制を覆滅する責務がありその特権がある国であることを強烈に認識しなければなりません!
そしてその近代・戦後の打倒への進撃の錦の御旗は、第一に、ヒューマニズム(人間優先)に対する神道(自然優先)第二に、ダーウィズム(進化論)に対する人種共存共栄、第三に、ロックの言う人工国家 に対する血と土の価値観の普及に他なりません。
まずは、政治の原点である国民の最低生活保障(衣食住、健康の完備)、他国からの侵略を防ぐ、そして「飢える国が、無防備な富める国を襲う」との侵略の芽を予防すべくアジア共同体の建設、そして八紘一宇の世界新秩序建設に邁進しなければなりません。
わが国が変われば、アジアが変わり、世界が変わる、そして世界史が変わる。
この偉大な世界史的使命を天から享受できるはわが国を置いて他にないことを確信し、真の独立主権国家建設の一歩を踏み出すものであります!
 

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