超国家主義『民族の意志』同盟
安保粉砕なくして憲法問題は解決せず!
1・小泉の前文持ち出しの意味
戦後わが国では、喧しい憲法論議がうんざりするほど60年近くも継続されている。
現行憲法と称される占領憲法の条文は、まるで古代文字を解読するが如く自分に都合の良いよい解釈合戦が延々と演じられている。
特に戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認に関する第九条解釈や、宗教に関する第二十条解釈などはその典型である!
その一方、確かに、この10年の間に自衛隊の海外派遣に劇的変化が見られた。
15年前のPKO法案廃案から西暦1991年の掃海艇派遣、そして今回の陸海空自衛隊イラク派兵を鑑みれば、第九条解釈などはまさに180度の劇的変化と言わざるを得ない!
ただこの中で私が最も注目したいのは、時の宰相が遂に憲法前文(注1)を持ち出して自衛隊派兵論議に幕を引いた事にある。
憲法前文を持ち出した意味は、いうなれば
「細かい解釈などゴチャゴチャ言うな!基本理念はこう言っているのだから中の条文はこう解釈するのだ!」
と簡単に断言できることを意味している。
もともと前文の中に雑多陳列された美辞麗句は誰もが嘘八百と認識してきたものであり、この世迷い言にまともに付き合ってきたのは「恒久平和」「非武装中立」を表看板にペテン営業してきた左翼や市民団体だけだったのだ。
彼等は条文内容において形勢不利になると憲法の基本精神である虚構の塊である前文を持ち出して問題を曖昧糢糊にするのが常套手段!
もっとも左翼や市民団体ごとき弱小勢力がこの乱暴な手法を使っても態勢に影響はなかった。
今回軽薄短小を身上とする小泉首相がこの手法を使ったのであり、小泉の口から発すれば大したことには聞こえないのが摩訶不思議だ!
しかるにこのような本来ならばいままででは蜂の巣を突いたように大騒ぎになるべき重要な事でさえ、左翼マスコミも国民も一同にこの手法に対し大きな反論もなく承認したことです。
わけのわからぬ小泉の個人的?
解釈がまかり通ったという事実は、もはや憲法解釈に関する法規範的裏付けが各段に弱まり、憲法解釈は政治的解釈に道を譲った事を意味することは断じて間違いのないことである!
もっともブッシュの金魚の糞たる小泉の解釈はブッシュの解釈に他ならず、そこにはわが国の「国益・国体・国史」に照らしその正当性はまったく存在しないことをはっきり見なくてはならない!
2・売国奴に法解釈権なし!
法の解釈権とは最終的には裁判官ではなく法秩序の最高執行権者たる政治家であるべきだと私は確信します。
しかしその前提として、わが国や小泉の言動の中に政治があるのか?
と言いたい。
そもそも憲法及び法律はわが国「国体・国益・国史」を守護し発展成長させるが為の規範的補助に過ぎないはず。
ところが戦後、憲法や法律が「国体・国益・国史」に優先する摩訶不思議が生じ、憲法法律教条主義による枝葉末節的解釈が横行することとなった。
裁判では弁護士・検察の個的力量や裁判官の個人的裁量によりバラバラ解釈。
地裁、高裁、最高裁での逆転判決、TV番組で弁護士同士の解釈権の対立などにも現れているように、法解釈まで個人主義が跋扈しているとも言えるのだ。
まさに個人主義の弊害がそこまできている!
そもそも、自由主義・平和主義・個人主義に代弁される戦後デモクラシーという代物こそわが国体を破壊せんとする対日奴隷化政策に他ならず、憲法を廃絶したのみか、最も国民に身近な民法を改竄し日本伝来の共同体システムを去勢させてきたことは極めて由々しき事態であるのだ。
故に、このような個人主義による国家堕落を是とする為政者こそ、わが国の自滅を促進させる裏切者である!
そして個人主義を高唱しているにも拘らず、実は!
真の個人的自由も利益をもわが国には存在しておらず、畢竟、集大成であるべき日本国家の自由も利益も存在していないことに国民はもっと驚愕すべきである!
大東亜戦争敗戦後、わが国は一貫して日米安保条約の軍政下に置かれ、真の独立主権国家とは言い難い状態が当たり前となっている。
表面では独立しているが事実上、政治・経済・文化・国防等あらゆる分野が米国の支配下にある段階で、いったいどうして憲法や法律だけが独自路線を歩むことができようか!
3・国体なくして憲法なし
まさに、憲法・法律は米国の支配下にあるのだ!
わが国を奴隷化せんとする米国はわが国に植民地版法規範を繁殖させることは至極当然であり、憲法などは近代国家としての体面を保つが為だけの形骸である!
故に米国の意向に沿うものだけを公的立場に配置し植民地憲法や法規範の番兵にしてきたわけだ。
しかるに時代の変遷と共に国民の意識にも変化が現れ、反米的解釈権も散見されるようになると、小泉純一郎のようなブッシュの忠犬に百家争鳴の解釈権の封殺を目論んだのである。
そもそも戦後一貫して米国の植民地に本来の憲法などは存在しないことを強烈に認識すべきである!
米国版憲法を金字塔にする左翼護憲売国奴、憲法改正にしても米国に擦り寄ろうとする守旧派売国奴が混在する中、真の憲法論議は真の独立主権国家の建設にあることを改めて自覚しなければならない!
その為に、戦後日本において憲法に優先する日米安保の破棄を俎上に上げずして何の前進もあり得ないことを強烈に認識しなければなりません!
「我々は近代・西洋・キリスト教文明に毒されたあらゆる価値観・法秩序にとってかわり、日本の伝統に基づいた一般法の制定と、法規に対する国体の優先を要求する」というわが二十一ヶ条綱領第十五条にある条文こそが、わが運動の法秩序に対する基本理念である。
白人帝国主義の世界近代化の一環に基づく近代国家としての最低要件のひとつである近代憲法を制定した大日本帝国憲法は、当時の歴史的背景からは最良のものであったと確信するが、しかし白人帝国主義打倒を掲げるわが運動では、白人の顔色を窺わねばならぬ白人式憲法すら唾棄すべきものと考えており、ならば、世界に誇る世界最古の憲法たる「聖徳太子十七条憲法」の継続(廃止されていないが為)を高らかに謳うべきではないか!
推古一二年(西暦604年)5月に発布されてから丁度1400年目の栄えある年にあたるの本年、今こそ白人の猿真似ではない真の憲法制定と、米軍政下からの脱却(日米安保粉砕)を堂々と断行しようではないか!
(注1) 平成十五年12月9日、自衛隊のイラク派遣決定を裏付ける理由として小泉首相が朗々と読みあげた「憲法前文」の一項「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」