超国家主義『民族の意志』同盟
真の維新は
尊皇攘夷過激派によって断行される!
~戦後デモクラシー幕府を打倒せよ!
1・民主主義の幻想が剥がれた
編集人 あけましておめでとうございます。
3年余にわたる民主党政権が年末に終焉しました。
改めてどのような年になるとお考えでしょうか?
委員長 明けましておめでとうございます。
今回の総選挙は、議会制政党政治に対する疑問と嫌悪の前兆を如実に示しました。
今後近いうちに戦後既成常識が大きく覆されることが予想されます。
今更言うまでもないことですが、民主党の建党目的は、自民党に牛耳られ続けてきた政権利権を横取りすることにあったわけです。
「政権交代」の甘い蜜に群がった浅ましい胡散くさい山師達に国政を司る気概も意志もさらさらなかったことは周知の事実です。
その反動で確かに年末の総選挙で自民党が大勝しましたが、これとて選挙制度の手品であり誤魔化しにほかありません。
何しろ投票率が戦後最低の59 .32%で前回比10ポイント減。さらに政党別得票率で自民党は27.6%に過ぎない。
と言うことは、有権者の20%に満たない支持しかない自民党が八割の議席を獲得したわけです。
ところが、マスコミ、議会屋と有識者は
「現今の選挙ルールに沿って公明正大に行われた結果だから尊重しなければならない」
といまだに臆面もなく主張している始末。
重要なことは、民主主義の大原則が瓦解しているにも拘らずいまだに民主主義を信奉している自己矛盾に、いよいよ気づかざるを得なくなっているということです。
そもそも民主主義の大原則とな何か?
すなわち、「51対49の原則」と云われるように、あくまでも多数決原理に立脚して初めて成り立つ妥協産物に過ぎません。
故に少数派は多数派の前に潔く屈服せざるを得ないルールです。
従って少数派が多数派を支配する現象自体、彼らが信奉すべき民主主義者とは真逆である筈です。
ところが、「議会制」と言う間接民主主義、「比例並立小選挙区制」などと言う政党間の妥協によって成立した選挙制度の誤魔化しによって有権者を騙し続けてきたわけです。
且つ、有権者もこの詭弁を隠忍自重しさえすれば民主主義が守られるものであると無理やり思い込んでいた訳です。
そこに、今回!
若年層の中心とした有権者が大いなる違和感と義憤をもって投票拒否したことはこれから惹起する大変革の前兆であることを明記しなければなりません!
2・戦後保守は何を守るのか?
民主主義はそもそも矛盾だらけであり、私は端(はな)から戦後押し付けられたアメリカナイズデモクラシーなんぞを信じるものではありません!
戦後デモクラシーとは、戦勝国(特にアメリカ)の対日弱体化政策の根幹をなす梅毒に他なりません。
故に戦後わが国は、心身ともに米国の植民地化され続け、自国自身の方向性すら決定できない不具国家に陥っており、米国に従属し簒奪され蹂躙されているわけです。
事実上憲法以上の国内最高法規である日米安保条約によって、わが国は自主独立の機能を去勢され続けており、その呪縛の中での民主主義であり自由・平和に過ぎません。
戦後デモクラシーを維持することは、とりもなおさず現状の植民地状態を固定化することを意味し、この自虐的状態を嬉々として信奉している民族に一体明日の飛躍発展があるのでしょうか?
また、「保守」という言質にも非常に違和感があります。
そもそも何を保ち守るのか!
戦後保守と言われる連中が、果たして国体護持と世界に冠たる日本の再建を目指しているのか非常に疑問です!
戦後「西側陣営」「資本主義陣営」「反共自由主義陣営」の美名の下で、実は侵略国アメリカに屈服する敗戦国状態の維持を保守と言うのであれば、これこそ共産主義者共々祖国を外国勢力に売り渡すものに他なりません。
いまだ達成されていない大東亜戦争の意義「自存自衛・アジアの解放」を貫徹することこそが、わが国英霊父祖と有色人種全体に対し、断乎守らねばならぬ崇高な使命である筈です!
ところが戦勝国に擦り寄り、アメリカの核の傘による庇護を甘受する臆病者に、わが国崇高な世界史的使命を遂行する意志があろうはずもなく、だから本来ならば鎧袖一触であるはずの支那人や朝鮮人にまで馬鹿にされる始末です。
伝来わが国は、他国の川下に立つことを断じて許してこなかった気概を持ち、他国を救っても他国から救ってもらう気質はないのです。
保守革新両陣営は、立場が異なっているとはいえ、戦後デモクラシー信奉を声高々に主張するのであれば、それこそ、現状=敗戦状態を是とするものに他ならず、換言すれば「大東亜戦争に負けて良かった」と意識していのではないかと感じざるを得ません!
そもそも、自民党は西暦1955年の日本民主党と自由党の合併によって作られた保守政党と戦後歴史では教えられ、吉田茂は戦後保守本流の立て役者として囃し立てられていますが、この保守合同こそ、アメリカ CIAによって巧妙に作られた米国の傀儡、エセ保守に他なりません。
吉田茂は「対米追従・経済優先・国防無視」を標榜し、日本共産党幹部であった野坂参三すら驚愕し反論するほど、自衛の為の武器すら放擲することを制憲議会で主張していた売国奴に他ならないのです!
これを保守と崇める戦後わが国の実態で、いったい自主独立国家建設などは断じて不可能であるのです!
戦後永田町の政権交代劇を見渡すと、五十五年体制以降は第一段階:自民党長期政権時代=派閥内政権交代、第二段階:自民党・社会党を飛び出した分子の反自民勢力による政党間政権交代(新進党、民主党)。
そして今回自民党に一見復帰したが、結局は遠目から見ると、戦後デモクラシー信奉者の中の「コップの中の嵐」に過ぎないことが判明されたのです。
要は、政党名、首相、人員が走馬灯の如く変化しようが、結局のところ戦後体制は何ひとつ変わっていないと有権者が愕然と気づいたわけです。
政治改革・生活改善・経済是正・主権死守をポツダム議会屋は声高に叫んでいますが、現在の植民地状態=非自主独立状態に固執する限り抜本的是正などまったく覚束ないことが漸く明らかになりつつあるのです。
すなわち、議会制政党政治という現在デモクラシーの枠の中では断じて変えられるものではなく、議会制政党政治自体を覆滅することが不可欠となってきているのです。
選挙互助会の域を脱しない現在の既成政党。維新の大安売りを掲げて登場した橋下、石原も所詮は現今戦後デモクラシーを延命するだけの産物に過ぎないことが露呈したのです。
議会制政党政治、間接民主主義、政党、選挙制度そのものに対して「 NO!」を突きつける日が着実に到来していることを理解せねばなりません。
3、現在の公武合体=修正主義者
日本維新の会など第三極が注目されていましたが、果たして第三極とは何か?
先述しましたように、戦後デモクラシー信奉者に国家的見地からの区別は全くなく、すべて既成敗戦国状態を是とする同じ穴の狢に過ぎません。
自民、民主を二極と言い、この他新たに台頭してきた勢力を第三極と命名すること自体、マスコミによる戦後体制の延命を図る罠に他ありません。
現在の自民から維新他に至る永田町全体が戦後デモクラシー信奉する一極に他ならないわけです。
さて、わが国の三大維新である「大化の改新・建武の中興・明治維新」はどのような形で権力が交代したのか。
そして一体何を変えたのかを歴史から学ばなければなりません。
石原・橋下両氏の考える基本はあくまでも戦後デモクラシーの枠の中での改革であり、これは自民党などの既成政党や議会制政党政治に代表される既成価値観を覆そうという気概やスケールを見出すことが出来ません。
現に、既成に染まり切った著名人を各所に配置登用していることや、数合わせのためには他党ポツダム議会屋を引き抜いて取り繕うとする姑息性に、維新を標榜する資格自体を疑問視せざるを得ません。
これを歴史に照らせば、わが国幕末時代の長州藩長井雅楽や松平春嶽、島津久光、山内容堂、伊達宗城などによる「公武合体」に当てはめることができます。
中央(幕府)の衰退により台頭してきた地方(諸藩)の図式は、現今の都府県知事の発言拡大を鑑みれば歴史は繰り返すの一考でしょうか。
そもそもこの公武合体なるものは既成体制を一部修正することで、とりあえず危機を回避せんとする代物であり、これを真の維新=尊皇攘夷派から見れば、既成体制の延命を図る裏切り者にしか映らず、現に幕末では激しい憎悪の中で公武合体派は尊皇攘夷過激派から血祭りに上げられてきたことを忘れてはなりません。
現在の公武合体派は、多数決原理=デモクラシーに沿った権力奪取を目指し、その為既存勢力の名前と数にすがったことでも底が知れています。
有権者はその浅底を見透し、既成勢力を拒否する消去法の先に行き着いた避難場所として一役買っただけの存在に過ぎなかった訳です。
その意味ではこの修正主義の台頭は、これに取って代わる真の維新勢力登場の下地に他ならず、あらゆる手段を駆使しても一切の既成価値観を粉砕する「尊皇攘夷過激派」が、てぐすね引いて出番を待っていることを歴史から理解しなければなりません。
そもそも豚をいくら百匹集めても一匹の飢えた虎に勝てるわけがありません。
特に国難においては多数の無益な話し合いは百害あって一利なしそのものです。
まさに、一人の決断こそ、本来の国政原理と信じるものです。
決断と行動こそが、いま最も要求されている政治であります。
あらゆる既存常識で呪縛されている現今社会にあって、身命賭した常識破りこそ救国の英雄となるのです。