超国家主義『民族の意志』同盟
強い国家とは
~責任回避する政党政治
1・何が違うのか?党首選の茶番
今や二度と復権できない民主党にあっては現職首相に擦り寄るのが政権の蜜を吸う上で有利であり既に代表選は消化試合であります。
また自民党に至っては一層陳腐。
民主政権自滅による政権復帰が現実味を帯びたと踏んだ利権亡者がいまだに寝ぼけ眼で総裁選に手を挙げているだけに過ぎぬ。
両党含め戦後政党が打ち出す公約や政策などは所詮インチキチラシ以外の何ものでもなく常に世論動向やマスコミ受けを気にし流行を追従するだけの無策に他なりません。
至近あると言われる総選挙に向け、自らの確固とした政策を打ち出すこともせず、マスコミが囃し立てる橋下に擦り寄った曖昧対応しか打ち出せていない情けない現状はその証左です。
そもそも政策というものは、自らの世界観や国家観に立脚した具体的行動指針を指すものです。
しかしながら戦後デモクラシーに毒された政党にはわが国の世界観という基軸そのものが一切存在せず、戦後占領政策である「自由・民主・平和」という敗戦国家観をいまだに金科玉条のごとく崇めている傀儡に他なりません。
このような自主独立の気概を持たぬ対外屈服・自虐主義者のいったいどこに国家国民の安全と繁栄、至福を追求する政策が存在できるのでありましょうか。
まさに現今流行の原発問題、消費税、社会保障、TPPなどという事象でさえ自民、民主はじめすべての政党内部でも実のところ百家争鳴となっている事実はこの基軸がぶれている証左に他なりません。
2・主権・領土に身命賭す政治家はいるのか?
ロシアの北方領土、韓国の竹島、支那の尖閣などの侵略行為に対しては皆一様に憤慨しているように見えます。
国内世論やマスコミの憤慨を見て取って形式的に一応抗議する振りをしても、結局は侵略国に脅えている情けない姿を見て取るのは私だけでしょうか?
そもそも、領土・主権問題は今に始まったことではありません。
北方領土に至っては、ポツダム宣言受諾の8月15日以後も、確信的に南樺太、千島列島に武力侵攻し無辜の市民を大量殺戮していまなお居座っているロシアにわが国歴代政権は一切の抗議の声ひとつ挙げていないことを見ればその臆病さは十分理解できるでしょう。
更に言及すれば、西暦1905年の日露戦勝ポーツマス条約こそが日露国境線の最後の取り決めであり西暦1952年サンフランシスコ条約すら参加していないロシア(当時はソ連邦)が何を言わんやかであります。
臆病なわが政府は「北方領土の日」を制定しているものの、何ゆえに日露和親条約締結の2月7日なのか笑止千万です。わが同盟は北方領土奪還の日と言うであれば、9月5日のポーツマス条約締結の日であり北方領土とは「全千島・南樺太」を指す以外に存在しないことを明確に主張しています。
竹島に至っては韓国李承晩の一方的な了解線引き、軍事施設の建設、わが邦人40数人が殺されているにも拘らず歴代わが政府は韓国にどのような謝罪賠償を要求したか?
尖閣に至ってはわが国シーレーンが著しく脅かされている状況下、支那の領海侵犯に関してまったく腰の引けた対応しかできぬ。
これら独立主権国家にあるまじき対処しか出来ぬわが国を完全に舐めきった近隣蛮国どもは、互いに連携を取りながら「反日」を内憂の発散に利用するばかりか、わが国からあらゆる利権を貪ろうとする狡猾な魂胆が見えているのです。
「やられたらやり返す、盗られたら取り返す!」
は生き残る国家の古今東西の常識であり、わが国の近代史にもその事例が燦然と輝いていることを断じて忘れてはなりません。
即ち、西暦1895年、日清戦勝直後による三国干渉に遭って大連・山東半島の租借を露仏独に簒奪されたことに当時朝野挙げて憤慨し臥薪嘗胆で復讐を誓ったのであり、その結果、十年後にはものの見事にロシアを撃滅し勝利した栄光の史実を今改めて確認すべきです。
わが国は戦争によって勝利してきた武士(もののふ)の民族であることを再認識せねばなりません。
世界の指導者の中では本来の日本は「一億火の玉」の命知らずの民族であり戦争に滅法強く戦うには極めて手強いと認識しているからこそ、いまだにわが国を身動きできないよう縛り上げ、挙句は大和魂さえ去勢しようとしているのです。
このような武士民族が韓国朝鮮、支那ごときに足元をすくわれている暇はない筈です。
北方領土、竹島を奪還し尖閣を実効する為には武力をも駆使して占領せねばならず、その為には国交断絶、そして戦争をも辞さぬ覚悟と準備をしなければなりません。
繰り返して言いますが、強い国家とは即ち、戦争に打ち勝つ国家を建設することです。
他国を超える軍事技術、充実した正面装備、強兵の育成、軍需産業の確立。
当然ながら政治・経済・教育・科学技術すべてがこの強力な指導者の下で同一方向性を持たねばなりません。
こう考えると、果たして民主・自民の候補者の中で、主権を維持し領土を奪還することに命を賭すことを強烈に表明した者がいたでしょうか。
逆に全員が日米同盟強力を謳い、戦後デモクラシーを嬉々として主張していること自体、もはや戦後価値観=敗戦国家史観の中をグルグル回るだけで、自滅檻を破壊する気概も勇気もまったく見られません。
3・わが政策概要
臨戦態勢国家建設のためには、沿岸にな並べられた無防備な原発は全廃します。その一方で技術開発の下、核兵器開発および核を凌駕する新兵器の開発に全力をあげます。
また海外の諸事情に左右される貿易偏重経済を廃止し、国民生活・軍需の充実を目指した先進技術工業と食糧自給自足型の共同体経済を推進せねばなりません。
また首都圏に25%の人口が集中する無防備都市を全国8の国防都市圏に改編します。
国防都市圏内での自給自足化促進と流通の無駄を排し物価抑制を行い生活の安定を促進します。
教育個人競争主義を排し、国家社会への奉仕を基軸とした体育道徳を最重要視した集団教育、芸術・技術等への造詣を向上させた高度文化国家を実現します。
そして最高の教育機関である徴兵制を実施し常備60万、予備600万の軍事力の維持をはかり、各種技術学校の設置と兵力保存を展開する。
更に、わが国が主導するアジア共同体構想を推進すべくわが国軍の海外展開をはかり域内安定を推進するものです。これらはわが同盟二十一ヶ条綱領にも明記されている内容ですが、実行責任は一人の英雄的指導者たることを断じて忘れてはなりません。
もはやこれには「多数決原理」に基づく無責任民主主義は有害無益であり即座に唾棄廃棄すべきものです。
戦後わが国はボケ平和に浸りきりあまりに空想的な奇麗事を言い過ぎてきました。
祈りで平和が来るかの錯覚を蔓延させてきた戦後デモクラシー信奉者の罪はあまりにも甚大です。
原爆を落とされた被害者が「二度と繰り返しません」と叫ぶ摩訶不思議が通用するまやかしの国が世界平和の担い手になれる道理もなく、復讐を誓ってこそ英霊に顔向けできるのであり、不条理に鉄槌を下すことのできる英雄民族こそが、世界から賞賛される存在となってきたことは歴史が証明しています。
最後に、「維新とは一体何か!」について一言。
すなわち既存価値観を根本的に覆滅すること、具体的に、平和の美名に浸るだけで実は何も平和に貢献していない馬鹿どもを血祭りにあげることにほかなりません。
わが国は既成政党の退場、そしてまがい物の「維新」を駆逐する行程を駆け足で突き進み、民族主義者の手による真の維新=既成価値観の粉砕が近いことを実感せざるを得ません。
いまや議会制政党政治が風前の灯火となる日が近いことを時代の風が確かに囀っています。