超国家主義『民族の意志』同盟
外国に振りまわされる無策経済を払拭し、共同体経済を建設せよ!
「痛みを伴う改革」
米百俵の物語などの美談を多用することで、その不屈の改革意志を表している小泉首相であるが、しかし、その言葉とは裏腹に、もはや国民は満身創痍の状態となりつつある!
日本式経営の代表格であった松下電器が、遂に解雇を敢行した!
終身雇用制度を死守せんとするも、大不況の前にはもはや背に腹は代えられないとするもの。
同様に、NEC、東芝等々の大企業も相次いで数千人単位の解雇を予定し、吐き出される失業者で溢れるばかりだ!
まさに大失業時代が到来寸前!
これは、ボーダーレス、国際基準と称した経済無策の結果、世界最大の保護主義大国・米国に押し付けられた一方的な経済侵略のなれの果てである!
自由競争とはまったくの名ばかりで、相次ぐ対米屈服の歴史を持つ日米経済戦争で、徹底的に日本市場は米国にズタズタにされてきた!
大東亜戦争敗戦直後から、わが国の経済的基盤である村落共同体、家父長制度、日本式民法その他、わが国独自の慣習を微塵に破壊してきた占領軍。
農地改革? 財閥解体?
挙句は青少年教育制度すら覆滅し、現在のみか将来に亙っても日本の再興を断じて許そうとはしなかった。
戦後の出発時点から、既に伝来経済基盤が破壊されてきた日本は、本来では三流農業国として横たわらねばならに運命にあったのだ!
しかし日独大国消滅した直後に現出した米ソ冷戦は、日本にとって新たな展開をもたらした。
即ち、共産主義陣営に直面する極東の最前線としての地政学的見地から、米国西側陣営の反共防波堤と化した。
更には西暦1950年に勃興した米ソ代理戦争の朝鮮戦争にて、前線への軍需補給基地として大きな好景気が降って湧いたのだ。
その後、経済大国、GNP世界第二位などという冠を付与されるに至るも、結局は日本が自ら構築した経済政策では断じてなく、あくまでも米国の都合によって振り回されたものに他ならなかったのだ!
現に、「経済優先、対米追従、国防軽視」の吉田ドクトリンによって、安逸の平和を享受するだけで、全てを民需に注ぎ込んで来たわが国は、高品質、低賃金、高技術によって国際競争にうちかってきた!
だが、これとても長続きはせず、「宗主国」米国経済が貿易・財政の双子の赤字で凋落せんとする時、米国の出先機関で植民地である日本から利益を簒奪することは火を見るよりあきらかな出来事であった。
1985年のプラザ合意によって、わが国は一方的に為替レートを政治的圧力で変更され、無邪気な金満は瞬時に崩壊したのだ!
円高により輸出景気は失墜し、加工貿易立国を支えた中小企業はバタバタ倒壊した!
だが、巧妙な技術とアイデアを元来持つ日本は、一ドル100円にも耐えられる企業改善を実施し、米国を慌てさせた。
ゆえに、米国は次々と保護、関税戦争をしかけ、自由貿易の名の下で、日本式経済基盤を去勢してきた。
もはや食糧は自給率が3割を切り、自立できる生活基盤は破壊された。
その他、外国依存の度合いは益々強くなり、遂には金融、土地といった経済の血肉までが外国資本の軍門に下った!
銀行神話、大企業神話、財閥企業神話は、いまや外国資本や外国政府により瓦解した。
経済引き締めからバブル経済へと外国に振り回された日本経済は、バブル崩壊による大打撃を受け、先の見えない大不況へと沈んでいるのだ!
これらを見ても、己自身で構築した経済政策は一切なく、ゆえに、この不況打開も独自の経済政策を一切打ち出せないのは至極当然であろう。
小泉の主唱する「構造改革」があくまでも外国の強要による対日経済侵略の策略であることは明確だ!
国民の衣食住さえ風前の灯火たる現今、己の価値観すら変革できない永田町うじ虫どもに、どうして自ら痛む政策を実行できようか?
「痛みをともなう」のはあくまでも国民であり、決して永田町のポツダム議会屋どもではないのだ。
もし、真の構造改革を実施するのであれば、その眼目はあくまでも人的・金的・物的資源の効果利用と国民の衣食住の完全保証でなくてはならない!
その為には、真の日本独自国家戦略を打ち出し、その下での経済政策を構築しなければならない!
その主役は、私企業ではなく、あくまでも国家である。
国家主導の「生産・流通・消費」の円滑化と「資本・労働・資源」の効果的配分を目指す新国家総動員法を制定しなければならない。
そして、何はともあれ、生存すべく食糧の完全自給自足を目指した食糧自給自足法を制定し国民の生命を断乎守護せよ!
戦後、毒された盲目的アメリカナイズを打倒し、日本民族の共同体経済を早急に建設し、国家の生存を確立しなければならない!