超国家主義『民族の意志』同盟
正義とは強者への羨望だ
祖国の再建と国体の復権を目指し、常に果敢に活動を展開しているわが民族の意志同盟は、苦しい現世に悶え苦しみながらも自らの弱さを克服し維新回天の志士たらんと牙を磨ごうとする純粋にして感情豊な若者の集う運動体である。
人生―運動―国家―世界―世界史を一本の柱で直結した一騎当千の勇者を育成し、必ずや永田町からポツダム議会屋を駆逐一掃し、これに取って代わり強力国家建設を果たすべく日々邁進している。
今回、特に全国の若き青年諸君に対し、わが運動の基本的思考側面の一つを披瀝するので理解の一考にしてもらいたい。
1・正義と暴力
越後のちりめん問屋の隠居じいさんが、暇に任せて全国行脚し御当地の事件に介入し、挙句の果てに斬った張ったの大騒動。
十分暴れまくったところでやおら「もうここらで良いだろう」とお決まりの印籠差し出して一件落着!
言わずと知れた国民的番組「水戸黄門」だ!
同じVTRかと見違えるほど何十回何百回同じ寸劇が繰り返され本来見飽きている筈。
だがしかし国民はこの勧善懲悪の予想通りの結末に満足し大喝采するのだ。
ここで注意!!
格さん助さんが無類の剣術士の設定だからこそ格好がつくというものだが、これがうっかり八兵衛程度の付き人だけなら一体どうなる?
「旅のうまいもの紀行」で行く先々でがっつくならいざ知らず、本筋の悪行代官に対峙するという大円団を迎える前にチンピラ子分の手に掛かって八兵衛は討ち死に、先の副将軍も印籠奪われるわ簀巻きにされてるわで川に投げ込まれて番組は初回をもって最終回だ。石坂浩二の降板騒動の暇なんぞあるはずもない。
当然こんなドタバタ番組は国民から総スカン!
二度と放映されるはずもない!
要は、黄門に限らず古くは怪傑黒頭巾、月光仮面から仮面ライダー、ウルトラマンシリーズ等々高い支持を得る国民的番組は、常に国民の要求する完全無欠の絶対正義を提供しているということだ。
そこにはゲスな寝回しや妥協を一切付帯しない高純度の結末を定番としているが為、視聴者との間には一抹の疑心すら入りこむ余地のない絶対信頼同盟が締結されているのだ!
先日、ウルトラマンタロウの主演者が恐喝の疑いで逮捕された時の視聴者からの失望の凄まじさを鑑みれば、それは単なる番組の中のフィクションと冷笑することはできないのだ!
これらの番組は確かに作られた物語であり、こんなことに目くじらを立てることに冷ややかな視線を送る者も多数いるだろう。
だが、現実のみを唯一の世界と感じ、現実との妥協に全精力を使い果たしロマンや夢を見る余裕すらなくなった思考回路の錆び付いた者にとって、この先どうして飛躍した人生を獲得することができ得るのか?
現実の目先の要求にのみ従う日々の生活に四苦八苦しひとり悶える者に何の耀きを感じられようか?
したり顔した現実との妥協を排し、自らを再度白紙に戻す勇気を持って己の至純の感情と直接問答してみよ!
洋の東西古今を問わず、常に正義とは、屹立した強者の手によってのみ断行できるのであり、暴力はこれを遂行するに最大にして最強の要素であることをこれら番組は物の見事に示しているではないか!いま肝と腕力を磨く絶好の時期であることを確信せよ!
2・戦後個人主義で個人価値観高まったか?
500年白人帝国主義の怒涛の東進を断乎阻止!アジアから白人を駆逐、有色同朋に白人劣等感を払拭させ戦後アジア・アフリカに独立ラッシュをもたらした日本であったが、大東亜戦争では多勢に無勢一敗地に塗れ敗戦した。
東亜に燦然と輝く神国の力の源泉が世界で最も単純明快な民族主義に立脚することを付きとめた白人戦勝国は、戦後祖国から神秘にして伝統的価値観を破壊せんが為、あらゆる社会機構に矛盾の罠を配置した!
人類史上稀に見る驚愕すべき思想統制・歴史歪曲が個人主義・自由主義・民主主義の美名の下で積極的に導入された。
日本的なものは野蛮で時代錯誤であるとし、伝統・文化・歴史は博物館行きとなり鑑賞される展示物と化した。
特におぞましい個人主義によって社会規範の多様化・複雑化が図られ、個人の国家に対する優先がまかり通った!
個人一人ひとりのバラバラな思考は野放しにされ、個人同士の無益な衝突やら齟齬対立する「百家争鳴」状態を自由民主主義満開の象徴と嘯く始末。
どの国でも当たり前とされる国家統合の象徴すら外国とこの傀儡政権は「民主主義の敵」として断固容認してこなかった。
まさに「複雑メカニックが故の個々人力量の相対的低下」と民族感情の封印に基づく「極端な自己抑制」と「複雑=理論の優越、単純=感情の卑下」の図式を徹底的に戦後デモクラシーの下で醸し出すことに成功した!
戦後導入された個人主義の第一目的が国家意識の去勢にあるが同時に、第二目的として個人自覚意識の滅却にあることを忘れてはならない!
即ち、「自分が何者であるのか」という個人的大命題を思考できない戦後個人主義は、国民の名を残しながらも無秩序社会に漂う無機質な物体を輩出してきたのだ!
依拠する国家理念の欠落、自らの存在自体に確信の持てぬ者同士の空虚な自由・権利・感情の披瀝ごっこに一体何の価値が見出せるのか?
微塵単位の軽薄短小の個人的自由・民主・権利を如何に争奪し合おうが、畢竟、個人主義全体の地盤沈下を留めることは断じてできないのだ。
個人主義を高唱満喫しているつもりの戦後日本において、国家主義同様、真の個人主義が極端なまでに抑圧され矮小化されている大きな落とし穴があったことを、果たして諸君は理解できたであろうか!
3・弱者に正義は存在しない!
「暴力振るうな、喧嘩するな、威を表に出すな」と高唱する「人権・平和・自由・平等」の四馬鹿兄弟が大手を振って闊歩する現実に、国民は皆違和感や嫌悪を感じながらも、しかし四兄弟の支配する「常識」「理性」村からひとりわが身が疎外追放されることを恐れ、盲羊の如く偽善者を演じている。
ひたすら己の感情を抑圧し、自己抑制できる者を「大人」の仲間入りできる「常識人」の証しとして称賛されるおぞましい虚構の世界が横柄に横たわっているのである!
「正義は弱者にある?」「人間話し合えば必ずわかりあえる?」
言っている本人すら信じていない陳腐な世迷い言に一体誰が心底から追従するか!
もしもそうであるなら、それはよっぽど自らを聖者と勘違いしているか、話法に自信があるのかだが、こういうことをぬけぬけと言う者ほど、他人に対する優越性を抱いている証拠である!
言うほうも聞くほうも嘘と知りながら尤もらしく頷く社会を誰が信じられるか!
もはや正義を全うせんとする民族感情のうねりをいつまでも抑圧することは許されないのだ!
腐敗と混沌に喘ぐ今ほど英雄待望が日増しに高まっていることをはっきりと理解しなければならない!
「常に不条理な現実から脱却したい!」
「生まれてからこのかた抑えつけられてきた感情を発散させたい!」
「常に他人と上手く妥協する処世術を身に付ける度合いによって価値が下される不可解!」
「非妥協への畏怖に駆られ意に反して平然と他人に屈してしまう己の情けなさに対する嫌悪感!」
いいだろう!
全ての感情を爆発させる激動の時代に変革してやろうではないか!
民族感情の前に立ちふさがる敗戦国家としての自虐的史観、自己否定する常識と理性を微塵に粉砕せよ!
現状価値観の番犬としてしたり顔する老獪な常識人を叩き潰すのだ!
4・もっと単純に! もっと感情を!
喜怒哀楽の感情あっての人間だ。
善行を心底称賛する一方、悪行には全身怒りをもって対処するは、これこそ生身社会の常識に他ならない。
生を受けた瞬間から苦しみの始まりだ。
厳粛に種の掟たる弱肉強食を認識しこれを拝受する覚悟を持たねばならない。
自ら弱者の位置に安住するのでなく常に強者に対する純粋羨望と強者への不撓不屈の心身鍛錬を遂行する者のみが、将来時代を担うことができるのだ。
共に悪行に怒るだけなら誰でもできる。
これを敢然と懲らしめ秩序を是正できる魅力にこそ正義を見出すのである。
即ち、常に正義は強者によってのみ保持されるという冷徹且つ厳然たる事実を受け入れねばならないのだ!
その上で、わが身の置かれた現実の立場を直視しその理不尽なまでの仕打ちに対し激しく憤り、その逆境を超克せんとする覇気こそ、新たな正義を担う強者としての資格であることを認識しなければならない!
まさに強者たらんとする覇気は、己の感情を忠実に発露する勇気と直結するのだ!
他人の慰みを受けず、自らの判断で自らの人生・世界を切り開かんとするは、遭遇する敵に対して一歩も引かぬ肝と腕力を備えていなければなるまい。
自らの正義感情の発露としての暴力は完全に肯定されねばならないのだ!
故にこそ、自ら振り下ろした暴力には自らでのみ責任を負うことができるのだ!
戦後57年間、偽善と欺瞞の芥によって覆い尽された感のある日本民族の感情は、地下水道の如く国民の潜在的思考回路の中に今もなお脈々を波打っていることを忘れるな!
世界に冠たる皇紀二千六百六十二年悠久の民族感情は、屈辱の57年なんぞは一瞬にして凌駕するだけの矜持と栄光に支えられてきたことは言を待たない。
わが日本民族がいつまでも膝を屈しているような民族でも、他国に媚びを売る我慢をし続ける民族でもないことを、世界はまもなく思い知ることとなろう。
外国勢力の対日内政干渉、グローバリズムと称する対日経済奴隷政策、経済破綻、不良外国人の跋扈、ポツダム議会屋の対外屈服、党利党略・私利私欲、相次ぐ政財官の癒着、マスコミの売国策動への怒り心頭には、格さん助さんの暴力で敵を粉砕するしかないではないか!
そうして漸く次の言葉を公言出来るのだ。
「もうここらで良いだろう」
最後に一言。
諸君は他人から指図される人生を歩みたいか?
他人(他国)からガタガタ言われるは自らにつけ入れられる隙ある証拠!
どんな結果にも賛否あって当然であり、非難されて自らの価値を見出せ!
自らに漲る自信と勇気を擁すれば、他人からの無責任な非難中傷などに動じない筈。
規律とダイナミズムを身上とするわが運動は、まず自らを変革する勇気をもって飛びこんでくる者には相応の対応を約束しよう。
超国家主義運動の崇高なるロマンに参画せよ!