超国家主義『民族の意志』同盟
わが新天動説
平成26年1月1日
1・日本なくして存在できない現在の支那朝鮮政権
近年目に余る支那、朝鮮など反日を国是とする風潮。どのような社会でも、好き嫌いや利害関係は付きものです。だから派閥ができて角を突き合わせているのが当たり前です。
国家において堂々と「反日」を標榜しそれを国是としていることは、その威勢の良さの裏返しとして、実は寝ても覚めても「日本」を意識せねばならない程の強烈なコンプレックスに陥っていると同情せざるを得ません。
反日を国是とする意味は、日本が存在せずんば支那も朝鮮も国家として成り立たないと看破せねばなりません。
2・狂信的とは
狂信的愛国心を掲げている同盟は、極端な民族主義者である。
すなわち自分自身を愛し信じられない者が、本当に他人を愛し信じることができましょうか?
では自身を本当に愛し信じ続けることは、実は極めて厳しく、相当な努力が不可欠であるという厳然たる事実を認識せねばなりません。
何故なら、より深くより広く愛し信じるということは、自分自身の真相や本性を探求し続けねばならぬ必要があるからです。
表面的・一過性的な軽い気持ちで「愛する」「信じている」とは訳が違うのであり、まさに「自分探し」を土台とした「どうやって生きるか」の哲学に行き着かねばならないのです。
勿論、その土地や国に生まれたことで生じる郷土愛や文化愛も重要な要素でありますが、私が言う狂信的愛国心とは、その域をとことん深く広く探求し、所々で発生する阻害要件を一切併せ呑んで、自身と国家を盲目的無条件に信じ愛したいという究極的向上心を指すものです。
自身を自分の人生観の中心にしっかりと据えていなければ、自分の理想社会など描くことはできません。
だから、自分を第一に考えるからこそ、他人の為に犠牲とさえ厭わない勇気や自信が生まれるのです。
逆に、自分に自信が無いとか他人任せにした甘えがあれば、所謂「中途半端な愛情・信頼」は、他人・社会に中途半端な影響を与え、畢竟、自分自身の理想を裏切ることになるのです。
自己中心といっても所詮自分一人ではとうてい生きていくことは出来ません。
しかしその自己中心を徹底して探求していけば、その延長線上に、自己崇拝=自己犠牲の無為の境地が広がるのです。
自己の存在行動を確乎として意識することは、自己の存在行動に対しての責任感をしっかりと自覚せざるを得なくなるのです。
わが同盟は世間では「反米」と言われておりますが、同盟の党是が「反米」であるはずもなく、祖国の自主独立のためには現在のアメリカの軍政下植民地を否定する意味に過ぎません。
3・日独封殺するは、日独に正義ある証明
翻って現今の世界を鑑みれば、国連「UNITED NATION」(戦前戦中の対日独軍事同盟である連合国の意味)、WTO(世界貿易機構=大東亜共栄圏防止機構)、NPT核拡散防止条約(対日核武装防止条約)そして日米安保条約(対日軍事占領政策)等など、全てがすべて、日独枢軸国を包囲抑止政策が幾重にも積み重ねられていることをしっかりと認識せねばなりません。
即ち、私が日頃言っていることですが、現今世界は「日独の犠牲の上に立脚されている」秩序・平和であることを強烈に認識せねばなりません。
日独を永久の敗戦国家に置き続けることによって、初めて戦勝国の為の平和が維持できる特権を得ているのです。
そこで、何故ここまで日独を徹底的に抑圧し封殺せねばならないのか?
と言う素朴な疑問が出てきます。
何かにつけて「ナチスのユダヤ人大虐殺」や「日本軍国主義の侵略」をさも真実であるかの如く誇大宣伝を繰り返しているのは一体何故か?
ドイツでは「ハイル・ヒットラー」やナチ式敬礼を禁止している異常性は何故か?
もし、禁止解除や戦前否定教育を解除すればどうなるかを、現在の為政者達は強烈に理解しているばかりでなく、極度に怖れているからに他なりません。
即ち、一旦ナチスや帝国日本の偉大な民族主義を解き放てば、日独青年層の凍りついた心臓が輝かしい栄光の光で解凍され、青白く虚ろな頬にみるみる血の気が戻り、そして力強く大地を踏ん張って立ち上がる最強民族の覚醒と台頭が必至であるからに他なりません。砂に染み込む如く至純の民族青年に受け入れられる価値観は、アングロサクソンの自由主義でも民主主義でもパックスアメリカーナの世界でもなく、伝統・歴史・文化に裏付けされた血と土の民族共同体であるのです。
そこにまさに正義があるのです!
自尊自衛、アジアの解放、白人帝国主義打倒の大使命の担い手である日本こそが、真の解放者であります。
日本封印によって立脚されている世界秩序は、見方を替えれば、「日本中心に世界は回っている」と言っても過言ではありません。
日本が覚醒すれば、世界が変化するのであり、いまだに人種差別「アパルトヘイト」が世界に蔓延する白人中心の価値観=近代文明を粉砕する新文明闘争の旗手として、昂然と決起せねばなりません!
そこで、私は「日本を中心に戦後世界は回っている」厳然たる事実を再認識し、さらに、近代常識の代名詞であるコペルニクスの地動説をも超克せねばならないとの意味を踏まえて、ここに日本中心とした新文明闘争の旗印の一つに「新天動説」を高らかに主張したいと思います。