超国家主義『民族の意志』同盟
あなたは愛する人の為に死ねますか
安倍政権の集団的自衛権について政界マスコミや左翼陣営が戦争反対を叫ぶ等騒然としています。
戦後わが国では保守革新問わず、アメリカ支配下の「平和」を甘受し米軍の核の傘下で惰眠を貪ってきました。
自力で自国民・自領土を死守する意志も能力もないまま、米国製占領憲法を金科玉条としその九条を盾に
「戦争はしません」
「平和を維持します」
と嘯き、或いは「核兵器反対、戦争反対」と叫ぶ寝ぼけた言動が横行しています。
威勢の良い安倍政権が主張する集団的自衛権なる代物も結局は日米安保条約の補完策に過ぎません。
日米安保条約を「不磨の大典」と信奉依拠してきた戦後わが国は、戦後デモクラシーとあいまって物心両面に亙り「米国なくんば存在出来ぬ」植民地状態に陥っています。
このおぞましい安保条約こそ、わが国の自主国防・自主独立を心身両面に亘って著しく堕落腐敗させてきた大障害に他ならないことを明記せねばなりません。
憲法すら占領軍によってでっち上げられた代物であるばかりか、その国内最高法規であるはずの「憲法」すら日米安保条約の下に組み込まれていることは、自衛隊が在日占領米軍の管理下にある事実を鑑みれば一目瞭然であります。
更に例をあげるのであれば、西暦2004年8月13日発生した在日米軍(海兵隊)の軍用ヘリが沖縄国際大学敷地内に墜落した事件において、米軍は一種の「戒厳令」状態を敷き、警察消防等一切のわが国の行政を排除した驚愕すべき事実は、今なおわが国がアメリカの軍政下に置かれている間違うことなき事象であります。
実に情けないことです。
自力で自国民を外国から守護できない。
自力で自国民を食わせることが出来ない。
これは実に異常であり末期的患者化しているといっても過言ではありません。
わが国は、ワニの牙に挟まった食べかすを掃除して生きているナイルチドリの状態を「平和」としていることで満足する情けない民族であろうはずがないのです。
もそも自主独立国家であれば、自国民国土を守護する為には、あらゆる危機的場面を想定し、たとえ全世界を相手に単独で戦い抜く気構え・体制を準備維持することは至極当然です。
わが同盟は、そのスローガンや激しい演説から「好戦的」と見られておりますが、決して無軌道な暴力を肯定しているものではありません。
暴力とは、計画的に準備訓練した組織的規律に裏打ちされたものこそ、最大効果と勝利を得るであり、その為の政治経済教育を体系的に統合した高度国防体制を建設すべきと強烈に主張しているのです。
わが国を襲う敵にはその電撃的一撃で微塵に粉砕せねばなりません。
その為に、敵(仮想敵)に対しては、手出しをすれば立ち直れない程の反撃を食らう脅威となることは至極当然であります。
そもそも脅威なき軍事力などは、敵に舐められるばかりか、侵略トリガーを誘発することになるのです。
「弱い部分から食う」は侵略者の定石であることは古今東西の歴史の基本中の基本であります。
従って、国防は独立主権国家にとって絶対的資格であり、自主国防あっての軍事同盟でありその逆はあり得ません。
故に軍事同盟が国内諸政策に最優先する現在わが国のスタンスを後世の歴史家は「植民地」と呼ぶことでしょう。
2・世界平和は、わが同盟の主張
この祖国崩壊の危機がひたひた近づいているにも拘らず、「戦争反対」を叫んで一人陶酔しているのが左翼平和主義陣営ですが、
私はその主張自体が「左翼・平和主義者」の専売特許であることに非常に疑問を持っています。
第一に、彼らの主張するものは「一国平和主義」に過ぎず戦後途絶えることのない地球上の戦争行為に関しては極めて鈍磨していると痛感するものです。
ベトナム戦争時にべ平連なるものが一時騒いでいたようですが、結局はわが国が戦争に巻き込まれないですめば他国で何が起きようが他人事を決め込む体たらく。
べ平連の末裔はアフガン・イラク・ウクライナ・チベット・アフリカ等々の悲惨に対し何をしているのでしょうか?
「核兵器反対」と叫ぶのであれば、核兵器を保持していないわが国に対してではなく、事実上核兵器を独占し国連常任理事国特権でふんぞり返っている連中に対し堂々と核兵器廃棄を叫ぶことをしてこそ、首尾一貫した本物の主張となるのではないでしょうか。
結局は、「核兵器廃絶」「戦争反対」という崇高理念を、党利党略の国内政争の具に矮小化しこれに満足しているようでは、誰の目から見ても真の世界平和・核廃絶などの実現は不可能でありましょう。
私は「世界の戦争を廃絶する」為には、少なくともすべての民族の共存共栄が不可欠であり、民族間の貴賎や差別があればそれを克服することが必要不可欠と考えるものです。
しかし、その理想は「話し合い」「他人の善意」によって他人任せにできるものでは断じてなく、現在、世界を支配し侵略政策を遂行している特権階級をその座から引きずり降ろさねばなりません。
自発的にその席を離れるケースは歴史上、自滅以外には存在し得ず、畢竟、旧態勢力を新興勢力が実力で打倒する以外は無いことを忘れてはなりません。
わが同盟は「五百年白人帝国主義打倒!」「一千年十字軍粉砕!」をスローガンとし、欧米白人種によるアジア・アフリカ侵略の傷跡の上に成り立つ近代、そしてこの不条理を覆滅せんと洋の東西で決起した日独両国の犠牲の上に立脚した戦後を、実力で持って克服し、すべての民族の共存共栄と民族共同体の建設を目指す新文明闘争を展開するものです。
最後に、これはたとえ、敵であるはずのアメリカやフランスでさえも、自らの国民を鼓舞しその正当性を維持させるには「尊い自らの血」が必要であったことは、胸を張り声高らかに大合唱されている国歌の歌詞を読めば判明できるでありましょう。
フランス国歌 フランス革命後、フランスに武力介入したプロイセンとオーストリアに対する徹底抗戦時に歌われた軍歌。
(三番)何と! 外国の軍勢が我らの故郷に来て法を定めるだと!何と!
金目当ての傭兵の集団が我らの気高き戦士を打ち倒すだと!
我らの気高き戦士を打ち倒すだと!おお神よ!
両手は鎖で縛られ頚木をはめられた我らが頭を垂れる下劣なる暴君どもが我らの運命の支配者になるなどありえない!
(七番)僕らは自ら進み行く先人の絶える時には僕らは見つけるだろう 先人の亡骸と彼らの美徳の跡を!彼らの美徳の跡を!生き長らえるよりは先人と棺を共にすること欲する僕らは気高い誇りを胸に先人の仇を討つか 後を追って死ぬのみ!
アメリカ国歌、西暦一八一二年に勃発した米英戦争における史実が元になっています。
(一番)おお、見えるだろうか、夜明けの薄明かりの中我々は誇り高く声高に叫ぶ危難の中、城壁の上に雄々しく翻(ひるがえ)る太き縞に輝く星々を我々は目にした砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中我等の旗は夜通し翻っていたああ、星条旗はまだたなびいているか?
自由の地 勇者の故郷の上に!
まさに、自らの自立独立は自らの血で裏付けられたことの証左です。
東洋平和と世界新秩序建設のためには、心を鬼にし敵を屠らねばなりません。
そこには未来のロマンに殉じる気概と愛する人の為に命さえ厭わない至純の行動こそ、いまほど強く要求されるときはないのです。
平成26年7月