超国家主義『民族の意志』同盟
あなたは意志を持っていますか?
1、人は変われど運動は普遍
同盟では、毎回、これが最期となっても悔いのない最高の運動をすべしとの指針の下、各員「24時間・365日」運動を展開しています。
発足以来、毎月東京御茶ノ水で二回、大阪天王寺・難波で一回の街宣活動、平成九年HP開設更新、平成十二年から日刊メルマガ「日本の意志」。現在ではツイッターなどの発信媒体を継続しています。
同盟はわが超国家主義世界観の普及と実現を目指した運動を展開しておりますが、運動の拡大と運動への支援共感を獲得する為の絶対不可欠要件は、その内容と同時に運動に携わる同盟員・会員の直截的な本気度にあると信じて疑いません。
為に、同盟員・会員個々人の運動・個生活・職場学窓の別無く常に本気で考え生きていく背中が肝要であり、それを支える柱と同志の存在こそ絶対要素と確信します。
この間には様々な人が入って来ては去っていきました。
運動体とは新陳代謝を繰り返し成長していく細胞体であると認識する私は、この流れは至極当然と考えており、その時期時代に必要な人材が必然参集したものと今でも感謝しております。
機関紙もその一環として、常に実体の伴った言語をぶつけるのであり、決して空虚な奇麗事や思ってもいない評論などは断じて掲載を許してはきませんでした。
従って100回のすべては魂の篭もった本気本音であり、周囲の賛否両論を惹起させた波紋こそが財産であると自負するところです。
だから、144回の機関紙にはその時期その人材ならではの特徴があり非常に歴史を感じます。
初刊があれば10号、50号、そして100号は想定内であり、100号に浸っている暇も無く次号を更に最も素晴らしい内容にすべく発展継承させねばなりません。
また、運動全体として私が強調したいのは、これを個人ではなく組織として確実に継続機能している点です。
質量の異なる多くの人材を規律ある使命感を持たせ着実に継続させること、まさに「人は変われど」組織全体として不動の行動機能を有してきたことは大いに強調し感謝したいですね。
2、意志なき戦後個人主義
運動は有機体であると。
有機体とはそれ自体が生き物であり、それを構成する細胞は刻一刻新陳代謝します。
外見からは何も変わらないように見えても、実はその中では多くの細胞が日々生まれては死んでいくことは自然の摂理であります。
同盟運動もまさにそれと同様、その屹立した超国家主義世界観の下に、意志を持った様々な細胞が集散しながら構成し成長している有機体と考えて運営しております。
戦後わが国では「個人主義」が喧伝されていますが、私からみれば現在わが国の実情は、個人の意志も自由も平等も去勢されたと痛感しています。
中途半端な自己保身が横たわっているだけで目の前の小益を争って取り合う小市民的自由・民主主義に他なりません。
奥深い山中で個人一人で生きるならばそれはそれで良いかもしれませんが、他人と共存することが不可欠な人間社会であれば、他人全体(社会・国家・世界)の自由・権利を理解した上での個々人の自由・権利を享受せねばならないことは至極当然です。
更には個人の自由・権利を自覚すること、即ち自身の意志の存在がそこには必要となるわけです。
個人主義を「謳歌」している現今社会では、あまりにも個人の意志が稀薄であり個人の存在意義すら自覚できていない事は、日々繰り返される惨劇が証明しています。
個人の存在意義を自覚するとは、即ち国家社会の存在意義を探求して得られる信条に他なりません。
戦後デモクラシーというアメリカナイズされた自由・民主主義によって毒された国家社会観の欠落こそ、畢竟、個人的自由・民主主義の否定、そして自己存在否定に直結することを、いま改めて覚醒せねばなりません。
初めから聖人君主など存在しません。
一般受けする成否を論ずる前に、貴兄自身の探求する正悪とは何であるか!
今まで培われてきたあらゆる知識・感情を土台に瞬時判断した「意志」こそ、その時の本音であり大事にすべきであり、それを踏み台として新たな意志の発見を探求する勇気を奮わせることこそ、素晴らしい人生、そして偉大な祖国再建が建設できると確信致します。
近頃の「維新」の乱発や「政治改革」など、表面的空論をいくら繰り返しても、大本である戦後デモクラシー(現今の自由主義・民主主義)を覆滅することなしに真の維新変革は不可能であることを歴史から明確に学ばねばなりません。
最後に、同盟や盟友会に入隊入会希望者には、私は常に述べている言葉があります。
「あなたは、あなたの意志を持っていますか?」