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日々の変化こそ、維新変革の原点

  国家変革と個人的変革の合一性

私は新たに同盟に参画しようとする人材に対し常に言っていることがあります。

「同盟には同盟の意志がある。それ以上に貴兄自身の意志を大事にしなさい」

「自己の意志をもった人材が同盟に積極的に参画奉仕することが重要であり、自身の長所を伸張させることこそが、同盟の飛躍成長に必要である」と。

わが同盟の趣旨の一つに、「自主独立国家の建設」があります。

これとて、国民一人ひとりの個人の自主性こそが、その土台となることは言うまでもないことです。

「自分で考え、自分の言葉で伝達し、自分の行動に対し自己責任を取る」当たり前の自主性にこそ、真の自由があるのです。

ところが戦後デモクラシーが崇める個人主義とは、私利私欲の刈り取り合戦に過ぎず、「集団に対する個人の優位」「公に対する私の優先」という社会規範を破壊する反社会的思想と言わねばなりません。

有機体である国家社会とは政治的用語で言えば「共同体」に他なりません。

国民個々人の長所を生かし「適材適所」にこれを配置し、それぞれの役割を存分に活かすことによって社会全体を健全に飛躍成長させることこそ、人類の基本的原則に他なりません。

 

そもそも、60兆個の細胞から成り立つと言われる人間は、毎日3000億個の細胞が死滅していると言われている。

自身の体内でさえ、このように日々膨大な細胞が入れ替わっている事実を考えてみれば、組織社会にしてもまったく同様と考えねばならない。

成長=新陳代謝なしに、成長どころか維持すら出来ない事実を認識せねばならない。

わが同盟でも新たな同盟員・会員が参画すれば、それは旧来とは異なる新たな運動体としての厳粛な自覚を持たねばならないのです。

新たな挑戦や変革を畏れ出来れば回避したいのは誰もが思うことでしょうが、しかし、誰もが常時、実生活では新たな挑戦に踏み出しているのです。

誰もが経験したことのない「明日」を生きることに一々畏れや嫌悪を抱く筈も無く、遥かに未知の将来を慮るとき、ロマンや夢を抱く権利を誰からも邪魔されることは無いのです。

ロマンや夢とは、破天荒で崇高な将来像を抱くことだけを指すのでなく、未知の明日を精一杯生き抜く為の糧に他ならないことを肝に銘じるべきです。

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