超国家主義『民族の意志』同盟
われらが打倒すべき白人帝国主義とはⅡ
白人文明に毒された戦後日本
「人類創生以来、欧米白人種が常に世界をリードしてきた」とのデマが世界を覆っている。特に戦後、 我が国ではアングロサクソン崇拝が異常なほどに浸透し、「白人種=文明、非白人種=野蛮」「白人種=優越、非白人種=劣等」というような図式が、何の抵抗もなくでき上っている。
大東亜戦争敗戦後の、あらゆる対日隷属化政策によって、あまりにも卑屈でいびつな国民感情が形成されてきた。これによりわが国は、自らの国家運営のみならず、国家と国民の生殺与奪建さえも、支配者である米国に委ねるという大失態を犯してきた。
すなわち、2600年以上にわたる、天皇を中心とした国家体制も骨抜きにされ、国家の領土と主権、自国民の生命と生活を守るためにある自国の防衛は、日米安保条約およびアメリカ駐留軍に委ねられているのである。その結果、自分たちの祖先が守り続けてきた国家を自らの命を犠牲にしてでも守るという、忠誠心さえも失われ、自国民が本来持たなければならない国防精神も希薄となってしまっている。
我が国と全く環境の異なった、アングロサクソンの理念や政治手法を無理やりに移植したことで、国内のあちこちに拒絶反応が起き、多くの不具合が生じている。今やこの大きなひずみにより、我が国は破滅の危機に瀕しているのである。
現在、国民生活を脅かし、将来において不安を抱かざるを得ないような、社会保険・年金制度などの福祉政策の破綻や財政のひっ迫などの大きな社会問題は、すべてこの木に竹を接ぐような占領政策の当然の帰結であり、状況はさらに一層悪化することは、火を見るよりも明らかである。
我が国の文化と相反する、西欧個人主義や自由主義の思想を蔓延させたことで、「無秩序な自由奔放社会」が現出し、国民的連帯感が失われ、自国民同士がいがみ合うような、殺伐とした社会が形成されてしまっている。自己の利益のために他人を蹴落とし、それが当然のことであるかのように振る舞う、厚顔無恥な守銭奴どもが幅を利かせ、国家社会のために奉仕する社会的貢献者は、非合理で要領の悪い人として冷笑される。
「今は国際主義の時代である。国際主義とはアメリカイムズなので、日本は日本的なものを捨てアメリカナイズされなければならない」として、自国の歴史、文化、伝統の継承を願う健全な愛国心をも否定する見せかけだけの独立国家。それが日本の現状なのである。本来、食料自給のために国土を有効活用し、国民生活の安定を図るべきところが、戦後の経済政策はアメリカの下請け工場となるため、農業を切り捨てて工業化に走ってしまった。その結果、食料自給率はカロリーベース(一人が一日に必要とする食料全体の熱量に対する国産食糧の熱量の割合)で38%と、先進国の中でも最低となる飢餓国家になり下がった。
以上のように、我が国は実態の伴わない自主独立国家であり、そこから生まれる様々な矛盾は、七五年間もの長期にわたって我が国を蝕み続け、現在、政治、経済、その他社会のありとあらゆる分野で噴出しており、国家を存亡の危機に至らしめている。
近代化というペテン
我が国を国家存亡の危機へ導いた、白人文明追従の病理は、まさに「近代化」へのおぞましい誤解に原因がある。この200年余り、世界中に欧米白人種の文明支配者神話を蔓延させたのは、「近代化」というデマゴーグと「近代兵器」による侵略と殺戮である。
彼ら欧米白色人種は、物質的繁栄と先進的な文化をもたらした「近代化」を絶対正義として、物質的に貧弱で野蛮な文化に止まっているアジア、アフリカの非白人種たちを開明させることが自分たちの使命だと思い上がり、平穏に暮らしていた非白人種たちの生活を土足で踏みにじってきた。彼らは、有色人種たちが祖先から受け継いできた生活習慣や伝統文化を即座に捨て去ることを強要し、万一従わない場合は、人類の必然的進歩である近代化を理解できない劣等人種として、「近代兵器」を駆使して虐殺するという、およそ文明人とはいいがたい蛮行を世界中で行ってきたのである。
これによって、民族の歴史、文化、伝統を守り継承しようとする、白人種による近代化への抵抗者は、ことごとく武力を以て根絶やしにされ、近代化を受け入れることで自らの延命と利益のみを考える、臆病で功利的な白人種の飼い犬、売国傀儡分子のみが残されてきた。この白人侵略者の暴挙と、裏切り者の売国奴たちの共謀によって、英語は「世界の公用語」となり、キリスト教は「世界宗教」といわれるようになった。我々は、この歴史的事実を明確に記憶しておかなければならない。
また欧米白人種は、あたかも自分たちの手によって、近代化を成し遂げたように喧伝するが、事実はそうではない。近代化の成果とされる火薬、羅針盤、印刷技術などの発明は、支那やインドが最初であり、彼らはそれを略奪模倣したに過ぎない。欧米白人種はその技術を使って世界へ進出し、武力をもって各地の資源、財宝を略奪、人々を拉致して奴隷とした。略奪された資源や財宝を資本とし、奴隷とした人々を労働力とすることで、彼らは生産と技術開発を繰り返し、世界を支配できるほどの強力な軍事力を保持するに至ったのである。
正義の名を借りた侵略行為「十字軍」
「近代化」というデマゴーグの元となる、白人帝国主義による世界侵略史を振り返ってみると、約一千年前の中世にその端緒を見出すことができる。
今なおキリスト教世界では神聖な印象を与える「十字軍」という名称は、湾岸戦争やイラク戦争の軍隊に対しても繰り返し使用され、「白人キリスト教文明の栄光と正義」を象徴するものとなっている。しかしその「十字軍」こそ、人類史上、最も悪辣で卑劣な虐殺行為を行ってきた軍隊なのである。
1096年に開始された、第一回十字軍遠征は、ローマ法王ウルバヌスⅡ世の呼びかけによって開始された。その呼びかけは「セルジュク・トルコによって迫害を受けているエルサレムのキリスト教徒を救え」というものだったが、実際は後進地域であったヨーロッパで問題になっていた失業者や前科者を、体よく追い払うための口実に他ならなかった。実際、「キリスト教の正義の旗」の下では、当時先進国であった東方諸国の財宝を略奪することや現地の人々の虐殺、強姦は許されるとされていたのである。
十字軍の遠征では、同じキリスト教の都市を攻め「血の嵐」を吹かせた第四回遠征が特に有名であるが、このような歴史的事実を見れば、十字軍の遠征が純粋にエルサレムの奪還にあるのではなく、白人帝国主義者たちのそれぞれの利権や政略によって行われていた侵略行為であったことは明らかである。そしてこの侵略行為は、1271年の第9回(8回説もある)遠征まで約200年近くの間、繰り返し行われてきたのである。
しかも、断続的ではあるがそれだけ長期間にわたる闘いを行っても、名目であるエルサレムの奪還を果たすことはできなかった。むしろ第二回の遠征以降は、東邦イスラム勢力に負け続けている。略奪、虐殺、強姦といった暴虐の限りを尽くし、最終目標であるエルサレムを奪還することができなかった十字軍遠征は、キリスト教における正義の戦いであったのだろうか。結局のところ十字軍とは、歴史的に見れば正義の名を借りた侵略行為でしかなく、そこには神聖な大義など存在していなかったのではなかろうか。このような事実を忘れ、今なお十字軍という名を神聖化する白人帝国主義者たちのデマゴギーに騙されてはならないのである。
現在も続くコロンブス侵略主義
大航海時代から植民地時代へ
十字軍の遠征から約200年後、1492年に奴隷商人コロンブスの「新大陸発見」(アメリカ大陸の侵略)によって、西欧白人帝国主義者は再び世界史の表舞台に登場する。
この後、ポルトガル海上帝国の基礎を築いたバスコダガマのインド航路発見(1498年)、カブラル(ポルトガル)のブラジル侵略(1500年)、コルテス(スペイン)のメキシコ侵略によるマヤ・アステカ文明の滅亡(1519年)、マゼラン艦隊(スペイン)の世界周航(1519~1522年)、ピサロ(スペイン)の南米大陸侵略によるインカ帝国の滅亡(1533年)と短い期間に西欧白人帝国主義者たちは、世界各地へ進出する。
世界はいわゆる大航海時代を迎え、西欧人からすれば「海外へ雄飛した」と言いたいところであろう。しかしその実態は、資源や技術に乏しい後進地域である西欧キリスト教諸国が、陸路イスラム教の強国オスマン・トルコの領土を経由して、資源が豊富で支那のように技術が進歩しているアジア・アフリカ地域へ進出することができなかったために、止むを得ず航海という手段を取ったのに過ぎない。
大航海時代にアジア・アフリカ地域で財宝や技術を略奪し、多くの現地人を奴隷として拉致することで、西欧諸国は資本主義時代へとその歩みを進めていく。その過程でこれまで略奪に主眼を置かれていたアジア・アフリカ地域への進出が、国内で作りすぎた商品を高く売りつけ、西欧諸国において高値で売れる香辛料などを安く仕入れる、不均衡貿易を主眼とするようになった。そんな中でインドに設立されたのが、イギリス東インド会社であり、オランダ東インド会社である。
その後、イギリス東インド会社は、イギリスの前進基地として植民地化されていたマレー半島を足掛かりとして、東南アジアやビルマへと進出し、1826年にはマラッカ、ペナン、シンガポールなどが次々とイギリスの植民地とされた。
一方インドでは、イギリスが着々と植民地化を推し進め、1849年のシク王国との戦いを経て、インド全土を植民地とした。このインド植民地化によって、インドは主権を奪われるだけでなく、イギリスの粗悪な綿織物が強制的に輸入されたことで、伝統工業であった綿工業も壊滅させられた。
資本主義時代から植民地時代へと移行した世界において、白人帝国主義の代表格であるイギリスは、インドや東南アジアへの侵略のみでは飽き足らず、アジア諸国へとその魔の手を伸ばしていた。その端緒となるのが、イギリス、インド、清朝支那の間で行われた三角貿易である。
はじめ清朝支那はイギリスへ茶を輸出、イギリスはインドへ綿織物を輸出し、インドは清に対して銀を輸出していた。イギリスは清との貿易の代価をインドの銀で支払っていたのである。しかし対インドの貿易では黒字となったが、清朝支那との間では貿易赤字が発生し、その莫大な赤字を補填するために、大量の銀が清朝支那に流出することとなった。そこでイギリスは、インドで作られたアヘンを清に密輸して、銀の流出を抑制しようとした。国中にアヘンが蔓延することに危機感を募らせた清朝政府は、イギリス商人が持ち込んだアヘンを没収、焼却した。これに反発したイギリスは、1840年に清朝政府に戦争を仕掛けた。世にいうアヘン戦争の勃発である。
イギリスの圧倒的兵力の前に、張子の虎・清朝支那は当たり前のように敗れ去り、1842年、イギリスと清朝支那の間で、香港割譲などを含む南京条約が結ばれ、イギリスは東亜侵略のための橋頭保を獲得したのである。このアヘン戦争を契機として、欧州列強国は、世界の各地で植民地争奪戦を開始し、本格的な植民地時代へと突入したのである。
白人帝国主義によってもたらされた世界の混乱
北アメリカではイギリスからの移民が、宗主国であるイギリスの植民地政策に抵抗する「独立戦争」を起こし、1776年の「独立宣言」およびその後のイギリスとの和平条約を経て、イギリスから独立した。イギリスから来た侵略者たちは、ネイティブアメリカンの土地に勝手に国家を建設するという暴挙を成し遂げたのである。これはまさに強盗の所業であり、祖先の遺産である「歴史、文化、伝統」を持たず、祖先から継承した「大地」を持たない、「血と土」とは全く無縁な人工国家を創出したのである。
先住民の土地を略奪し、国家を建設したアメリカ合衆国は、その土地の確保とさらなる膨張を目指して行動を開始する。
1823年、第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローは、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸の相互不干渉を謳ったモンロー教書を発表し、中南米諸国がヨーロッパの植民地になることを防ぐ一方、1830年にインディアン移住法を制定し、国策として先住民の掃討を図った。また1846年にメキシコに戦争を仕掛け(米墨戦争)、カリフォルニア、ネバダ、ニューメキシコなどの管理権を得るなど、アメリカ大陸内におけるアメリカ合衆国の勢力拡大を着々と図っていった。続いて1898年に勃発したスペインとの戦争(米西戦争)に勝利することで、キューバやフィリピン、グアムなどのスペイン植民地の管理権を手にした。また、アメリカは同時期に、第25代大統領ウィリアム・マッキンリーが提唱した「海のフロンティア」開拓という帝国主義政策を推進し、ハワイ共和国を併合した。
一九世紀はまさに白人帝国主義の全盛期であり、白人同士が世界の切り取り合戦をいたるところで繰り広げていた。しかし、これは教科書の中に収められた過去の歴史ではないのである。
白人帝国主義が行った植民地政策は、アングロサクソンが得意とする分断政策と間接統治である。その結果、今なおこの政策によって白人たちが勝手に引いた、植民地境界線が国境となっているアジア、アフリカ、南米地域においては、本来同じ土地に住むことのない異なる歴史、文化、伝統を持った民族や部族が同居しなければならなくなり、民族対立や部族間紛争が絶え間なく続いている。それ以外にも、その土地の資源が分割されたため、中東では石油をめぐって戦争が頻発、植民地経済の搾取による貧困の爪痕が色濃く残り、かつての宗主国と植民地の区分けそのままに経済格差となって表れている南北問題、果てはユダヤ人問題を解決するために建国されたイスラエルをめぐるパレスチナ問題などなど、明らかに現在の世界は、白人覇権によるアジア、アフリカの簒奪がもたらした、いびつな構造になっている。
そればかではなく、白人帝国主義者の手先となって働いた支那人やインド人が、
東南アジア、アフリカで華僑、印僑として定着し、現地の経済活動に悪影響を与え
続けている。
産業革命の土台は奴隷と強奪品
白人帝国主義者が、このように世界に君臨できたのは、軍事的優位性による。その軍事的優位性は、軍需産業、経済システム、市場システムの発達にあるのだが、これらは「産業革命」によってもたらされたものである。
「産業革命」は近代文明を象徴する出来事であり、白人文明の偉大さを証明するものとして喧伝されている。今ある物質的発明品や工業的発展は、すべて「産業革命」を行った白人のおかげであるという風潮が、世界に蔓延している。
では、その「産業革命」なるものが、なぜイギリスの港町リバプールから興ったのであろうか、という素朴な疑問こそが重大であり、白人の理不尽な行為を白日の下にさらすカギとなるのである。
「産業革命」を興すには、第一にその産業に投資される膨大な資金が必要となる。第二に商品を製造するために豊富な資源が必要となる。第三に過酷な労働に耐えられる多くの労働者が必要となる。これらの三要素をすべて満たしたのが、海賊国家イギリスの海外進出だったのである。
主にアジア地域へと進出したイギリスは、行く先々で金、銀、財宝を略奪、その地でとれる特産品を安く仕入れ、それをヨーロッパ諸国に高値で売ることで資金を稼いだ。また資源となる鉄や銅などを強奪し、アフリカ遠征では無数の原住民を奴隷として拉致してきた。
このようにしてイギリスは、「産業革命」に必要な資金と資源、そして奴隷という労働力を得たのである。その奴隷たちが陸揚げされた港こそ、港町リバプールだったのである。
近代文明の中核をなす「産業革命」は、以上のように略奪、搾取された資金と資源、そして拉致されてきた奴隷によって成し遂げられたことを、われわれはしっかりと認識しなければならない。また、その「産業革命」によって可能となった、重工業の発達や近代兵器の開発が、さらなる侵略行為を助長させ、アジア、アフリカ地域が植民地とされた歴史的事実も、忘れてはならない。
アジア、アフリカの原住民は、近代兵器によって虫けらのように虐殺され、現地の経済生活や社会資本は容赦なく破壊された。白人キリスト教徒たちは、異教徒である非白人種を人間とは認めず、彼らが先祖から受け継ぎ守り続けてきた、習慣や伝統、文化はすべて野蛮なものとして否定された。またその地の宗教も時代遅れの土着信仰として切り捨てられ、キリスト教への改宗が強要された。
現代社会で世界標準とされている英語、キリスト教、グレゴリオ暦、メートル(フィート)法、金融システムなどはすべて、白人たちが世界各地の植民地へ持ち込んだものである。
驕るばかりで恥知らずな白人たちは、今なおアジア、アフリカの諸国民に対して、「文明の啓蒙者」としての優越感を抱き続け、白人たちが自分たちに都合のいいように作った「自由主義、自由貿易、契約社会」というシステムを強要している。現在の白人が構築した世界システムが、各国に受け入れられていることは、白人の支配がいまだに続いていることの証左である。そしてわれわれは、このような世界構造が、非白人種たちの多大な血と涙の上に築かれていることを、断じて忘れてはならない。