超国家主義『民族の意志』同盟
世界平和の実現にむけて
この祖国崩壊の危機がひたひた近づいているにも拘らず、「戦争反対」を叫んで一人陶酔しているのが左翼平和主義陣営ですが、私はその主張自体が「左翼・平和主義者」の専売特許であることに非常に疑問を持っています。
第一に、彼らの主張するものは「一国平和主義」に過ぎず戦後途絶えることのない地球上の戦争行為に関しては極めて鈍磨していると痛感するものです。
ベトナム戦争時にべ平連なるものが一時騒いでいたようですが、結局はわが国が戦争に巻き込まれないですめば他国で何が起きようが他人事を決め込む体たらく。
べ平連の末裔はアフガン・イラク・ウクライナ・チベット・アフリカ等々の悲惨に対し何をしているのでしょうか?
「核兵器反対」と叫ぶのであれば、核兵器を保持していないわが国に対してではなく、事実上核兵器を独占し国連常任理事国特権でふんぞり返っている連中に対し堂々と核兵器廃棄を叫ぶことをしてこそ、首尾一貫した本物の主張となるのではないでしょうか。
結局は、「核兵器廃絶」「戦争反対」という崇高理念を、党利党略の国内政争の具に矮小化しこれに満足しているようでは、誰の目から見ても真の世界平和・核廃絶などの実現は不可能でありましょう。
私は「世界の戦争を廃絶する」為には、少なくともすべての民族の共存共栄が不可欠であり、民族間の貴賎や差別があればそれを克服することが必要不可欠と考えるものです。
しかし、その理想は「話し合い」「他人の善意」によって他人任せにできるものでは断じてなく、現在、世界を支配し侵略政策を遂行している特権階級をその座から引きずり降ろさねばなりません。
自発的にその席を離れるケースは歴史上、自滅以外には存在し得ず、畢竟、旧態勢力を新興勢力が実力で打倒する以外は無いことを忘れてはなりません。
わが同盟は「500年白人帝国主義打倒!」「1000年十字軍粉砕!」をスローガンとし、欧米白人種によるアジア・アフリカ侵略の傷跡の上に成り立つ近代、そしてこの不条理を覆滅せんと洋の東西で決起した日独両国の犠牲の上に立脚した戦後を、実力で持って克服し、すべての民族の共存共栄と民族共同体の建設を目指す新文明闘争を展開するものです。
これはたとえ、敵であるはずのアメリカやフランスでさえも、自らの国民を鼓舞しその正当性を維持させるには「尊い自らの血」が必要であったことは、胸を張り声高らかに大合唱されている国歌の歌詞を読めば判明できるでありましょう。
フランス国歌:フランス革命後、フランスに武力介入したプロイセンとオーストリアに対する徹底抗戦時に歌われた軍歌。
(三番)何と! 外国の軍勢が我らの故郷に来て法を定めるだと!
何と!金目当ての傭兵の集団が我らの気高き戦士を打ち倒すだと!我らの気高き戦士を打ち倒すだと!
おお神よ! 両手は鎖で縛られ頚木をはめられた我らが頭を垂れる下劣なる暴君どもが我らの運命の支配者になるなどありえない!
(七番)僕らは自ら進み行く先人の絶える時には僕らは見つけるだろう 先人の亡骸と彼らの美徳の跡を!
彼らの美徳の跡を!生き長らえるよりは先人と棺を共にすること欲する僕らは気高い誇りを胸に先人の仇を討つか 後を追って死ぬのみ!
アメリカ国歌:西暦1812年に勃発した米英戦争における史実が元になっています。
(一番)おお、見えるだろうか、夜明けの薄明かりの中我々は誇り高く声高に叫ぶ危難の中、城壁の上に雄々しく翻る太き縞に輝く星々を我々は目にした砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中我等の旗は夜通し翻っていたああ、星条旗はまだたなびいているか?
自由の地 勇者の故郷の上に!
まさに、自らの自立独立は自らの血で裏付けられたことの証左です。
東洋平和と世界新秩序建設のためには、心を鬼にし敵を屠らねばなりません。
そこには未来のロマンに殉じる気概と愛する人の為に命さえ厭わない至純の行動こそ、いまほど強く要求されるときはないのです。