超国家主義『民族の意志』同盟
国体なくして憲法なし
1・はじめに
最近わが国内外情勢が極めて危機的な状態となっております。
トランプ米大統領の登場以降、特に北朝鮮を巡る戦争突入の兆しさえ見える。
この状態で、わが国の危機管理が厳しく問われており、その遂行においても現行憲法の是非が一層クローズ アップされる風潮がうかがわれる。
更に今年は占領憲法施行七十年を迎えるにあたり、改正論議が喧しい。
世論調査においても改正賛成が過半数を超えており、 自民・公明その他与党衛星諸党があつまれば優に憲法改正に必要な議席数を確保できているはず。
にも拘らず、戦後タブーの一つである「憲法改正」のパンドラの箱を開けようとする為政者は戦後一貫して存在して来ず、米国の顔色を伺いながら責任回避に明け暮れている始末。
しかし、それは至極当然であり、戦後わが国の為政者は、畢竟、「戦争をしない」前提のかたわの国家運営を唯々諾々と維持させているだけに過ぎない。
私は過去機関紙にも占領憲法について条文・内容に関しての問題点を指摘してきたが、これを更に仔細に指摘し論議展開することは、 紙面の関係もあり後日に回すとし、今回、近代憲法を考慮する際に忘れてはならない大前提について以下厳しく指摘したい。
2・近代の醜さ
現代に生きるわれわれは、憲法は国家にとって不可欠な柱、さらに選挙、議会 の存在しない社会は非文明国であるという概念が無条件に信じられている。
そこ には近代、欧米列強による武力殺戮による世界支配の傷跡が厳然と存在する。
更に古代から中世封建を経て進化した近代こそ、人類史上最高最善社会として刻まれている。
故に、人類発展の為には「近代・ 西洋・キリスト教」文明の栄誉を浴びることを強制させられてきたのである。
有色人の未開地を欧米白人が土足で踏みにじる行為は「輝ける文明敷設の伝導」として美化絶賛され、伝来の慣習風俗宗教は悪魔として唾棄され改宗されるか虐殺 されるか強制されてきた事実を認識せねばならない。
白人の言う「未開」地にも人間社会が存在し、そこには歴然たる規律や社会秩序が暗黙・明文化問わず受け継がれてきたことは間違いないことであり、これらを微塵に粉砕駆逐し、白人植民地経営に都合の良い社会制度が押し付けられた。
戦後の憲法を巡る土俵は、護憲派も改憲派も憲法を不磨の大典化している近代文明の悪しきジレンマに陥っている。
護憲派の主張する「憲法を護持しさえすれば平和が維持される」の神憑り的ナンセンスは言うに及ばず、憲法改正派の土台とする「憲法あって国家成立する」「憲法次第で国柄が変化する」摩訶不思議に陥っている。
「時代に適した憲法に変えるべき」とはそのような論調の延長線上にあると言わねばならない。
また「憲法改正は世界の常識」であり、ドイツでは 五十九回、アメリカでも六回というように所詮西洋近代国家の風潮に追従する他 力本願的な論調が目白押しとなっている。
即ち、憲法とは国家民族の生命維持の道具に過ぎず、その時点で適した内容に変化することは至極当然であります。
だが、国艦(国柄)は民族普遍であり、変化するのは、その時代に適した行政方針政策に他ならず、これを司るのは政府に他ならぬ。その為には、行政権の最優先が施されねばならない。そしてその為政者の司法に関する「政治的」解釈権こそ、その時代の変化に他ならない。
3・法律とは政治的解釈
売国奴に解釈資格なし 戦後わが国では、喧しい憲法論議がうんざりするほど七十数年継続されている。
現行憲法と称される占領憲法の条文は、まるで日本語には無い言い回し、誤字、解読不明、それが故に、皆自分勝手な解釈合戦が延々と演じられている。
特に「戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」に関する第九条解釈、宗教に関する第二十条解釈などはその典型である!
法の解釈権は第一次的には裁判官であろうが最終的には法秩序の最高執行権者たる政治家たるべきである。
そもそも憲法及び法律とは、わが国「国協・国益・国史」を守護し発展成長させる為の道具に過ぎない。
ところが戦後、憲法や法律が「国體・国益・国史」に優先する摩訶不思議が生じ、憲法法律教条主義による枝葉末節的解釈が横行することとなった。
裁判では弁護士・検察の個的力量や裁判官の個人的裁量によりバラバラ解釈。(これが判例の大安売りとなっている)。地裁、高裁、最高裁での逆転判決TV番組での弁護士同士の解釈権の対立などに現われているように、法解釈まで個人主義が跋屈し、まさに個人主義の弊害がそこまできているといえる!
そもそも、自由主義・平和主義・個人主義に代弁される戦後デモクラシーという代物こそ、わが国位を破壊せんとする対日奴隷化政策に他ならず、憲法を廃絶したのみか、最も国民に身近な民法を改し日本伝来の共同体システムを去勢させてきたことは極めて由々しき事態であると言わねばならない。
故に、このような個人主義による国家堕落を是とする為政者こそ、わが国の自滅を促進させる裏切者に他ならない!
そして個人主義を高唱しているにも拘らず、実は!真の個人的自由も利益をもわが国には存在しておらず、畢竟、集大成であるべき日本国家の自由も利益も存在していないことに国民はもっと驚愕すべきである!
大東亜戦争敗戦後、わが国は一貫して日米安保条約の軍政下に置かれ、真の独立主権国家とは言い難い状態が当り前となっている。
表面では独立しているが事実上、政治・経済・文化・国防等あらゆる分野が米国の支配下にある段階で、いったいどうして憲法や法律だけが独自路線を歩むことができようか!
4・国體なくして憲法なし
わが国を奴隷化せんとする米国はわが国に植民地版法規範を繁殖させることは至極当然であり、憲法などは近代国家としての体面を保つが為だけの形骸に過ぎぬ。
故に米国の意向に沿うものだけを公的立場に配置し植民地憲法や法規範の番兵にしたて上げてきた。
そもそも戦後一貫して米国の植民地に本来の憲法などは存在しないことを強烈に認識すべきである!
米国版憲法を金科玉条にする左翼護 憲売国奴、憲法改正にしても米国に擦り寄ろうとする守旧派売国奴が混在する中、真の憲法論議は真の独立主権国家の建設にあることを改めて自覚しなければならない!
その為に、戦後日本において憲法に優先する日米安保の破棄を俎上に上げずして何の前進もあり得ないことを強烈に認識しなければならない。
我々は近代・西洋・キリスト教文明に毒されたあらゆる価値観・法秩序にとってかわり、日本の伝統に基づいた一般法の制定と、法規に対する国體の優先を要求する。
というわが二十一ヶ条綱領第十五条にある条文こそが、わが運動の法秩序に対する基本理念である。
白人帝国主義の世界近代化の一環に基づく近代国家としての最低要件のひとつである近代憲法を制定した大日本帝国憲法は、当時の歴史的背景からは最良のものであったと確信するが、しかし白人帝国主義打倒を掲げるわが運動では、白人の顔色を伺わねばならぬ白人式憲法すら唾棄すべきものと考えており、憲法憲法と言うのであれば、1413年前に発布され、今尚廃止されていない世界最古の憲法「聖徳太子十七条憲法」を世界に向けて堂々と謳うべきである!
戦後解体された国修復権こそ最優先課題たるを知らねばならない!