超国家主義『民族の意志』同盟
民族生き残りを賭けて!
いまこそ問われる日本民族の覚醒
1・わが同盟の目的とは
わが同盟は自主独立国家を建設し、その強い意志の下で世界の共存共栄と恒久平和を目指すものである。
己が自身の意志で判断行動し責任をとれぬものが、他人の所業について手を差しのべることが出来ないは至極当然。
だが、残念ながら自主独立とは真逆に位置しているのが現今日本の姿である。協調という名の他人依存、自らの力を否定する他力本願。
現にアメリカの核の傘と強力な駐留軍に囲まれながらも自らは非武装・非核と嘯き、与えられた「平和」にうつつを抜かす。こちらが両手上げ白旗を掲げさえすれば誰からも襲われるはずは無いとする根拠なき平和幻想が蔓延する。
だがこの平和幻想空間の中で繰り広げられているおぞましい現実とは、わが国がいまだに敗戦状態にあるとの悲惨実情にあることを明記せねばならない!
即ち、憲法以上の国内最高法規である日米安保条約によって、わが国はいまだにアメリカ軍政下に組み伏され祖国全体が政治経済文化司法等々すべての面で支配占領されている。
安倍首相の目論む憲法改正なる狡猾策動などは、口先の愛国や自主独立とは実は真逆の対米追従システムへの地ならしに他ならない。
挙句は、付帯事項であるはずの日米地位協定によって国家国身の貴重な資金・人材・土地を言われるがまま差し出し、本来あるべき「自主独立・自主国防・再軍備核武装」の意欲も必要性もずるずると去勢させられているのである。
2・戦後平和幻想を支えるもの
戦後日本において「戦争に巻き込まれないこと」そして「戦死者がいないこと」 が唯一無二の存理由である戦後デモクラシー。
故に「戦闘以外の」死者がいくら山積みされようが「平和社会にとって不可抗力要素」に過ぎぬとされてきた。
過去十数年変わらぬ年間三万人の自殺者、 四、五千人の交通戦争死者、この他殺人強姦犯罪戦争を見ても、すでに対外戦争以上の悲惨な国内「戦死者」が積み上がっている。
しかしながら、あくまで敵の砲弾等によって殺されない限りこれらの修羅場は「平和」として扱われ、これに注意喚起したり是正の声を挙げようものなら途端に「好戦主義者」「侵略主義者」の大バッシングの風が吹き荒れる機械仕掛けがとられている。
更におぞましいことは、この「平和」 に胡坐をかき、大東亜戦争敗戦後かろうじて命脈を繋いでいる日本国民の最後の生存維持装置がいままさに破壊させられようとしているのである!
即ち、国民の胃袋と健康を破壊するという根源的直接的「民族ジェノサイド」 政策が、その最終局面に差し掛かっているという驚愕的事実を暴露し知らねばならない!
戦争・戦闘する行為・意欲を徹底的に剥奪し心身ともに抵抗できない状態をした上で、遂に餓死・毒殺・心身疾患に導く一億民族半病人・衰弱死化へのおぞましい計画が、まさに終戦から70数年かけて知らず知らずのうちに、しかし確実に実施されてきた。
民族生存に絶対不可欠の身元保証と健康の否定。
即ち、民族の依って立つ歴史伝統文化の否定、食糧自給自足体制の破壊、国民健康体維持回復制度の崩壊がその典型である。
穀物自給率3割に止めを指す4月施行の種子法廃止、保険年金崩壊はその総仕上げの序曲といっても過言ではないのだ。
不健康で弱体化し生命力を衰退させた国家民族は自然界のルールに従い歴史の舞台から退場せねばならぬ運命にあることを歴史から学ばねばならぬ。
3・強い国家とは。愛国心とは
では、そもそも強い生命力をもった国家民族とはいったい何か!
師団、軍団の数や戦闘機、戦車、戦闘艦の数や火力にあるのではなく、崇高で遠大な理念や世界観に裏打ちされた民族国民の一致団結、連帯の中にある。
では、そのような団結心や連帯感、そして所謂愛国心を民族国民が抱く為には何が必要であるのか?
その国に生まれたのだから無条件に愛国心を持つべきだとの意見も確かにある。
また外敵来襲による戦闘的結束も過去には必然してきた。
しかし多くは時の政権による国民教育と国民生活の保障に大きく左右されてきたのが実態である。
真の愛国心とは政権が国民に求めるだけでなく、国民側から自らを犠牲にしてまで国家民族を支えようとする強力な奉仕精神を引き出すことによって必然産み出されるものである。
その為には、国家が国民の生存維持を断固保障できるかによって強弱が生まれる。
衣食住、医療、教育、老後は万人が避けられぬ共通の生存要件である。
ならば、この不可欠要件こそ個々人の自由競争によって争奪させるのではなく、国家政権が何をおいても最優先で保障すべき事項である。
例えば、現在問題となっている保険年金。
疾病保険、老齢年金、遺族年金などは国民の生活維持を国家が死守するものでなければならない。
ただ国民の最低限生活保障とは全国民一律といった乱暴な施行ではなく、国民一人ひとりの生活水準に見あった内容、即ち貧困層に手厚く富裕層には薄くするは当然。
更には日本国民の為の諸制度であることを明確にし、 一定の税金や保証金を納めていない外国人には一切これを適応しないは当然である。
以上のように、「個の全体への奉仕と全体の個への保障」を踏まえた「全体の個に対する優先」
即ち、国家側による国民の健全生存保障、国民個々人の国家全体への能動的な奉仕義務を強力に推進することによって初めて鋼鉄の団結国家が成立するのである。
「歴史上、文明が滅んだ民族はいずれも敵によって滅ぼされたのではなく、すべては内部崩壊が直接の原因である」のトインビーの言を持ち出すまでもなく「平和」の惰眠の中で「まさか、そんな事が!」とたかを括っている間に民族ジェノサイドウイルスが、今まさにわが国内部でその民族生命を奪おうとしているのだ!
いまこそ、わが国は覚醒し、「本当に生き残りたいのか?」という基本的命題に真剣に取り組まねばならない!
戦後、「国体破壊・国史否定・国益放棄」 三大亡国路線と「対米追従・経済優先・ 国防軽視」吉田茂ドクトリンをひた走り、わが国を死滅へと導く国賊ポツダム議会屋・戦後デモクラシー信奉者をいまこそ撃滅粉砕する「第四の維新」断行の雄叫びを上げねばならぬ。