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終戦を建国に置き換えた戦後体制粉砕!

1・建国記念日さえ改竄された戦後
何が、戦後70年と言いたい。

戦後と戦前を分断する狡猾な罠が一貫して進められてきた腐敗混迷がいま横たわっているのです。

そして断じて忘れてはならないのは、わが国現在のあらゆる不条理の元凶は、「建国記念日」自体の歪曲改竄にあるといっても過言ではありません。


もちろんわが国の建国記念日とは、神武天皇ご即位されたとされる日です。

ところがいまや、8・15「終戦記念日」を「紀元」とした敗戦史、すなわち建国自体を「昭和20年8月15日」に事実上書き換えた、天をも畏れぬ暴挙が大手を振ってわが国を闊歩しているのです。

日本書紀に明記されている紀元節および建国理念を形骸化するばかりか、大東亜戦争敗戦以前の悠久皇紀2600年史の全面否定。戦勝国(特に米)価値観への無条件置き換え追従が行われています。その戦後理念は「永久の謝罪と自虐」

そしてわが国「歴史・伝統・文化」のすべての基準が戦後以降に戦勝国に都合よく書き換えられた。

例えば「保守・革新」などの言葉ひとつみても、戦前と同一基準視出来ないことは明白です。

わが国栄光の皇統連綿正史を否定分断し、当初から負け犬であったかの如く塗り替えた傲慢不遜な暴挙が70年間続けられたのです。

まさに、己の過去さえ忘却した徘徊老人の如く漂流する祖国の醜態があるのです。

この状態では、過去の矜持も将来のロマンも存在するはずも無く、己の意志さえ持たないが為、判断、決断、責任をも実施する感覚さえ去勢されているのです。
「平和を愛する諸国民の公正と正義」にすがり「自国の平和と安全を確保する」摩訶不思議のレールを70年間しがみつく醜態。

牙爪をもがれ家畜に成り下がった民族に相応しい「絶望への道標」が七十年間着々とわが国を屠殺へと導きつつあるおぞましい現状を激しく警告せねばなりません。

 

2・決断しないことに意義ある戦後議会
私が機関紙にも繰り返し言及していることに「決断」があります。決断できない政治は腐敗であり内外の戦禍を誘引する元凶となることは歴史の定理です。

これは古今東西の歴史にも幾度も出現しては国家民族を滅亡させてきております。
この要因として、第一に指導者の素質、第二にシステム自体の構造が上げられます。

前者の指導者について。指導者はその場その場での瞬時の判断と決断が要求されるは当然。

そして一度決断したら、最後まで責任を負うは至極当然。

故に、決断者は常にあらゆる場面を想定準備し覚悟をもって臨まねばなりません。

傍から臆病と見られる程の微細な注意関心力、不退転の覚悟によって沸騰した決断力。 これこそ指導者たる資格の典型であります。

中には結果に裏切られる場面にも遭遇する。

だが、スピードあれば修正余裕を持て反転攻勢できる。

勿論、無目的弾みて飛び出すフライングは論外ですが。

ただ、ここで主張すべきは、決断者とは唯一人であり決して複数並び立つことは不可能ということです。

戦後、外国勢力の傀儡に成り下がった臆病なポツダム議会屋にこのようなダイナミックな英雄的指導者が存在してこなかったのは自明の理です。
次に政治システムについて。

そもそも決断できぬとは、システム自体に決断を許さぬ宿痾があるのです。

多くの代表者の討論と多数決で「決定」されるのが「民主主義」と言われていますが、討論という名の妥協点を探る作業によって手を打つか、それでも抵抗する一部を排除する「儀式」が多数決採択となる。

だが、これには舞台裏での狡猾な寝技や裏取引が横行し、これを仕切る輩が派閥ボスとなる現実。

政治用語で「民主主義はベストではないが、ベターである」とか「政治とは妥協だ」等があたかも常識とされる歪なシステムこそ、末期的症状といわねばなりません。

要は現在の議会制民主主義システムをいくら手直し修正しようが、土台がズレていれば何百年何千年かかっても決断政治が聳え立つことは出来ないのです。

もはや「現状維持」と「無為無策」を身上とする「議会制民主主義」の実態を覆滅する以外に健全国家再建はあり得ないことを強烈に認識すべきです。

 

3・独裁は究極の民主主義形式
これを言うと、ここぞとばかりに、例えば「ファシズム独裁」を持ち出し、「民主主義を守れ」などと騒ぎ出すが、これこそ笑止千万です。

古今東西の歴を紐解くまでもなく、民主主義と独裁は実は同じ土俵上にあるものであり、互いに必要に応じてその形式を相互展開する代物なのです。

ただ間違ってはならないことは、「民主主義」=多数決、「独裁」=単独の決断のイメージがありますが、畢竟、多数決であってもその決断=責任は単独でなければならないことは先述した通りです。

故に民主主義体制においても単独の最高責任者が当然存在する。

これを「独裁」と称するのか?

ここで問題なのは、「決断」の責任を負いたくない「おしゃべりサークル」をいかにするかということです。

わが国議会制民主主義でいうところの「議会」とは投票によって国民の意思を体現する為の間接民主主義を意味し、あくまでも不特定無責任多数では討論議論が成り立たぬとの理由で、限られた責任ある代表者による「代弁会」に過ぎません。

これを国民の意思と履き違えた議会屋が、党利党略・私利私欲によって議員バッジを盾に勝手気ままに討論や立法すること自体、本来の民主主義とかけ離れているのです。

何故なら議会制民主主義には最終的責任が他の政治システムに比較してワザと曖昧にされて運用されているからなのです。
戦後わが国の「不決断」の要因は上記二要素が重なって続いているのです。

上が上なら下も同様。

国民一人ひとりが己の存在意義も出自も卑下唾棄されてこれに諦め慣れてきた者に、どうして自信や壮大ロマンを抱かせることが出来ましょうか?

さらにわが国を今後も占領し続けようとしている戦勝国により「戦後の常識」と化してきたシステムのレールの上を走る限りは、絶対に現在の植民地状態を脱することは不可能です。
故に、決断できぬ無責任政治を打倒するべきは、民族の過去雄姿を否定隠蔽してきたすべてのシステムを覆滅せねばなりません。

「三権分立」「国際協調」などの浮付いた戦後常識を白紙に戻し、立法・司法に対する行政の優越、議会の諮問機関化と職能別議会への再編。

そして最も重要なことは、英雄的指導者の登場が不可欠。

激動時代に舞い降りる英雄は、常に投票箱からではなく、街頭の騒乱と流血闘争からの勝者であり、既成体制下の異端児であることは歴史が雄弁に物語っています。

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