top of page

真の個人的価値は全体によって発揮される ~わが同盟の組織運動論

1・同盟のいう組織運動とは

わが同盟は平成7年(1995年)12月9日の発足以来、運動の組織化、そして組織運動こそ、 運動を拡大維持できる最低要諦であると認識し、その信念に基づき邁進してきました。

往々にして、一般組織たとえ企業官庁でも、組織とは互助会であるかの一面だけを見、大組織にいることだけで安心するきらいがあります。

また組織活動を理解していない者が特に管理職・責任者に多く見受けられ、組織の退廃、疲弊、慢性的病弊、悪行が日常で問題になっている始末です。

また、組織(人) と個をあたかも対立させるがごとき風潮も見受けられ、個人を組織に埋没させることが「会社員、組織員の誉れ」であるかの悪しき勘違い、さらに理解も説明もできない慣習習慣を「会社・組織の伝統」として言い伝える硬直化組織で、いったいどうして現在の激流の中で生き残ることができましょうか。

わが同盟では現在も多くの有望な人材が門を叩き、厳しい審査行状試験の暁に正式に会員そして同盟員(党員)になっています。入会入党する際に、私が彼らに真っ先に言う言葉があります。

「わが同盟は名称の通り、意志を持った 運動を展開するが、では諸君の意志はあるのか?」と。

さらに「私や同盟が諸君に与えるものは無いし、入党して利得することは無い!」

そして最後に「いかに同盟に奉仕できるのか?同盟を通し社会・国家民族さらには世界人類へ奉仕できる己の実力成長こそ、最大の意義である。ゆえに、己が伸びれば同盟を通して国家民族、世界、世界史が飛躍する!」

「己が意志をもって断固成長したい!ことこそ、最大の入会入党資格である」と。

2・運動とは有機体である

運動とは生物と同様、有機体である。

ゆえに常に新陳代謝する必然。淀んだ水溜りが腐敗するように、身内で傷の舐め合いをしたり悪行を皆で隠蔽している組織は、間違いなく壊死する運命にあります。

従って、新会員・同盟員は、同盟にとっての「新しい血」となり、この新鮮な血を注入した瞬間からこの有機体は新たな生命体となるのです。

同盟運動は毎日が変化変革。

常に成長のためには旧弊打破し、新改善提案に勇猛果敢に挑戦し続ける運動体であると自負しています。

どこにも「牢名主」など存在しないし、それ以上に先輩は勢いある新加入者に追い越されない為パワーアップを自覚し鍛錬する絶好の機会となっているのです。

有機体である限り、同盟の歴史の中で伸長する場合もあれば一時しゃがまざるを得ない時期もありました。しかしながら、組織運動といえども、弱者寄り 合いではなく、一騎当千の共同体として意識する同盟では、「一人」でも運動できる強烈な意志と行動力を要求されており、事実、そのような状況下での活動を各員平然と実施してきました。同盟の有機体運動とは、常に大ロマンを目指して邁進する崇高な「新文明闘争」であり、遥かなるロマンへの挺身とは現今のあらゆる逆境をものともせず不撓不屈で駆逐する自負と勇気を持った勇者の運動である証左に他なりません。

3・リーダーに求めていること。

組織運動の理想像は軍隊です。

実力をいかんなく発揮するために厳格規律がその土台になければなりません。

このピラミッド型組織を縦横無尽に強力に発揮する要件は有能な指揮リーダーの存在であります。

最少は三人五人からなる伍長級。

そして軍曹、下士官、さらに小隊、中隊、 大隊、連隊、旅団、師団、軍団、軍等々 と積みあがるが、各大中小ピラミッドを 支える点=責任者(リーダー)の育成強化こそ、組織運動強化の土台となります。

では、指揮官の役割とは何か?

一言で いうと、的確に部下を「叱る」ことができるかを要求しています。

褒めるよりも数十倍エネルギーが要求される叱咤こそ、指揮官能力の集大成といっても過言ではありません。

なぜならば、叱咤とは他人以上に己にブーメランのように返ってくる自己規律であり、それが強ければ強いだけ自己規律度合いが拘束されるからになりません。

これに耐えられるだけの厳格な指示言動できることこそ指導者の資格と確信するものです。

地位階級を笠に着た感情に任せた無責任な理不尽言動などはもっての外であり、そもそも叱咤の大本には強い能動的愛情が存在しなくてはなりません。他人、組織、そして己に対する強烈な愛情が土台にあってこそ、その者を困難から逃げ回る臆病者から強制信念を持ち敢然と突き進む指導者へ変貌することができるのです。

ゆえに同盟の最高責任者である私は、「常に是々非々判断し決断する、ゆえに本気の愛情をもって納得のいく迄繰り返し追及するのです。

これに必死で食らいつきしっかりと応え、最後は納得のいく結果をもたらす。

当然この果実はこの任にあたった者に帰し、その者に対する周囲の大称賛と拍手喝采が、その者に満足と自信を芽生えさせることとなり、強い指導者として育むことになるのです。

逆に、失敗を恐れるあまり臆して無為無策の受け身の人材は、組織中の危険人物となることを肝に銘じなければなりません。

もちろん人間誰しも「臆病」であり「怠け者」の側面を持っています。

しかし肝心な場面においてこの病を発病したが為に、自身の命取りになるのみか組織全体に致命的大打撃を蒙る引き金になる場合が多いのです。

組織の防衛ラインの中で最も弱い部分を切り崩すことは、孫子の兵法や、スターリングラード攻防戦における最弱ルーマニア軍崩壊でドイツ第6軍全体が壊滅したことでも証明されています。

組織運動においては、強烈な指導者を保持すること、強固狂信的な幹部を擁すること、そして何よりも弱点を放置しないこと、裏切り者を切り捨てることが絶対不可欠となるのです。

このように自信と勇気を、体験を通じて醸成された勇者が、自己と組織の中における存在意義を自覚したとき、組織の個人が全体と同一化することになるのです。

まさに「個は全であり、全は個である」その意味でも、真の個人主義は全体主義でこそ発揮できると確信しています。

4・個人を全体に帰一し巨大勇者たれ!

また、同盟運動を一言で表すものとして「24時間、365日運動」を主張し徹底実施させています。

まさに「一人でいる時こそ運動である」「時間を支配できぬは自己責任」の下、個人的事象・課題などは自分でしっかり処理してこい!が不文律となっている訳です。

同盟運動は計画運動であり、年間月間計画を事前公表し各位これに基づき自己計画立てて実践し闘争に参画する。

この時間や周囲環境に対する段取り司令コントロール能力が強く問われているのです。

「たまたま時間ができたから」暇つぶし的に参加する者は執念気迫に欠け足でまといとなる。

一方「家庭職場を犠牲にしてまで」参加する自己能力なき者に、一体どうして他人や天下国家に介在指導する能力があるのか?

同盟員会員に公私は存在しません。どこぞの議会屋のように「投猾に切り分ける」輩をだれが信頼できましょうか?

家庭・職場・学校などのどこの場所でも、どんな社会的地位を持とうがどんな立場であろうが、その者は一つの人格しか持たぬは当然。

ならば都合よく切り分ける 「演技」は不要であり、堂々と己の主張意 見や仕切りができることこそ、最も信頼を得る指導者であることは間違いないことです。

以上のように、同盟の各位は、己自身を信じ、その上で同盟指導者を信じ、同志を信じるのです!

個人を同盟全体に帰一すること、同盟全体を個人に帰一すること。

このような個全同一価値観を信じたとき、個人は凄まじく巨大な力を持つことができ、大ロマンに邁進する堂々たる勇者として個々人生を邁進することができるのです。

bottom of page